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珍場神社の棟札(原文通り)
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夫当社若宮八幡宮者当郷領主平朝臣江間小四郎之長男従入小学武術文学日夜勤之時登吾山読書一日下山経過架橋池有両蛇窺基帰直害之鳴呼凪因夙因所感無由逃避於是慈父義時忿然射彼大蛇的不誤射透蛇眼池中鳴動両蛇越山逃去矣父慟哭之余準擬若宮八幡宮盡祭奠之微誠祈基址之久遠者乎祝
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元久元甲子年(1204年)三月吉旦 願主相模守平朝臣義時 豆州田方郡江間郷摩尼山池場寺住持密乗沙門元海義
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左: 小高い丘の手前が珍場神社、裏手高台の千代田団地の中央公園の近くに寺洞の旧地名があり、安千代が通った千葉寺の跡と推測される。
中: 珍場神社は地域の集会所を併設した小さな社で、もちろん無住。判りにくい場所なので近くの民家に訊ねたら「何しに行く?」と怪しまれた。
右: 大鵡大明神(正体不明の主神)と若宮八幡(安千代丸)と子の神(この地に住んだ最初の居住者を十二支の最初と表現)の三社を祀っている。