畠山重忠の菅谷館跡 

 
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現在残っている空壕や土塁は重忠の時代ではなく管領上杉氏が活躍した西暦1400年代後半に築かれたと考えられている。その後は小田原北条氏がこの地を支配し、天正十八年(1590)の秀吉による小田原攻めによって廃城となった。地図はこちら
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城址の一帯は広い丘陵を構成しており、最も高台の北側を含めたエリアが城郭の中心になっている。館跡とされているのは国道254と都幾川に挟まれた周囲4kmの平坦地で、現在は埼玉県立嵐山史跡の博物館やスポーツ施設、森林公園などが併設されている。特にコメントを加える必要もないので、空壕や土塁、本郭周辺などの画像のみをアップしておいた。次回訪問したときに少し周辺を歩いてみようか、とも考えている。