目次の表示はトップ頁から → http://kamakura-history.holy.jp/frame-000.html
越前・朝倉舘跡の史跡へ 2007年5月
.
所在地は福井市城戸ノ内町。越前朝倉氏の祖である広景は元弘三年(1333)に鎌倉幕府が滅んだ5年後、南北朝時代に突入する建武四年(1336)に北朝の将・尾張足利家の
斯波高経に従って越前に入り、一乗谷宇坂荘の地頭として定住した。織田信長に滅ぼされた朝倉義景は広景から数えて十一代の後、一族最後の当主である。
ここ一乗谷の史跡と越前朝倉氏の興亡は、常に義景とセットで語られている。現在は城下町の民家などを含む史跡公園として美しく整備され、朝倉氏の悲劇に興味がない場合
でも快適な一日を過ごすことができる (地図)。周辺施設を含む詳細は 朝倉氏遺跡保存協会のサイト で。
.
義景は天文二年(1533)に朝倉当主・孝景の一人っ子として生まれ天文十七年(1548)に父が死んだ後に家督を継いだ。しかし若干15歳だったため、同族の朝倉宗滴に補佐
された。天文二十一年(1552)・20歳の時に室町幕府第十三代将軍の足利義輝の一字を与えられ、義景と名乗った。天文十七年(1548)に細川晴元の娘を正室としたが死別、
後妻として迎えた近衛稙家の娘(絶世の美女だった、と)は子を産まなかったため離縁されている。その後の義景は家臣である鞍谷副知の娘・小宰相を寵愛し長子の阿君丸を
得るが、小宰相も阿君丸も病死してしまう。義景はこの頃から政務を同族の長老に任せ遊興に耽ったらしい。
.
一方、上洛して足利将軍義昭を補佐した織田信長は徐々に将軍義昭との対立を深め、義昭は朝倉義昭と連携しようと工作を始めた。信長は義景に上洛を命じて拒否されたため
永禄十三年(1570)に家康と共に出兵、天筒山城と金ヶ崎城を落とし一乗谷に迫った。しかし信長を裏切った浅井長政が連合軍の背後を攻めたため信長は退却、義景にとって
信長を殺す千載一遇のチャンスだったのに、京都に逃げられてしまった。
.
同年6月、朝倉・浅井連合軍は姉川で織田徳川連合軍と戦い惨敗している。この時に義景は寵愛する側室と共に過ごして一乗谷を出なかったと伝わっている。同年 9月、義景は信長留守の隙をついて浅井軍と共に出陣し近江坂本に侵攻して信長の弟・織田信治と重臣の森可成を討ち取ったのちに勅命により講和。信長との対立は収まったかに見えたのだが...
.
元亀二年(1571)8月、義景は浅井長政と打ち合わせて織田領の横山城と箕浦城を攻撃したが敗退、翌年7月には信長が浅井の小谷城を包囲したが義景が援軍を派遣したため両軍は膠着状態になった。この頃から朝倉の有力な家臣は次第に義景を見限り信長に寝返り始めている。
.
そして同年10月には武田信玄が京都を目指して織田・徳川領に進入。信長は越前で戦っているため本領を留守にしており、武田軍の侵攻を
食い止める事ができなかった。同年12月に信長が岐阜に撤退、この時も義景は信長を追って美濃を攻める動きを見せず本拠の越前へ撤退してしまう。このため兵力の少ない信玄は苦境に陥り、激しい叱責の手紙を義景に送っている。
.
元亀四年(1573)4月に武田信玄は陣中で病死し武田軍は甲斐に引き揚げた。ついに信長は織田全軍を朝倉家に向けることが可能になった。同年 8月には 3万の兵と共に近江に侵攻。義景も朝倉全軍を率いて出陣しようとするが既に家臣の信頼を失っており、重臣の朝倉景鏡・魚住景固らが義景の出陣命令を拒否。義景は残る 2万の軍勢を率いて出陣した。
.
8月 12日に信長は朝倉方の大嶽砦を落とし、13日には丁野山砦を落とした。義景は越前への撤兵を始めるが織田軍の激しい追撃を受けて壊滅状態になり柳瀬に逃げる。
更に刀根坂でも更に惨敗し疋壇城に逃げ込んだが、斉藤龍興・山崎吉家・山崎吉延ら有力武将の多くが戦死してしまった。
.
その後の義景は疋壇城を脱出して一乗谷を目指した。将兵の逃亡は更に続き、残ったのは 10人前後の側近のみ。8月15日、義景は一乗谷に入ったものの味方の大半は逃げ去り、
兵力は壊滅 。8月16日、義景は一乗谷を放棄して東雲寺に逃れ、19日には賢松寺に逃れた。18日には一乗谷が落ちて信長軍に放火され、朝倉家百年の栄華は灰燼と帰した。
.
一族でもある家臣景鏡の勧めで賢松寺に逃れていた義景はその景鏡が信長と通じて裏切ったのを知り、8月20日早朝に自害。残った朝倉一族や女子供も全て虐殺され朝倉家は
完全に滅亡。義景の首は京都で獄門に曝された。
後に信長は義賢の髑髏を浅井久政・長政と共に箔濃(漆を塗り金箔を張る)にし家臣に見せた、そこまでは事実はだが、杯にしたというのは作り話らしい。
.
義景には信長を殺し天下を取る機会が何度もあったのに全てを逃している。定説通りの暗愚の将か、若年の折に続いた身辺の不幸が彼の心に深い傷を残していたのだろうか。


