かつては甲州街道一番の難所、甲斐の猿橋  2007年7月

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甲斐の猿橋は 岩国の錦帯橋木曽の棧(かけはし) と並んで「日本三奇橋」の一つと言われる。地図は こちら から。
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大菩薩嶺や笹子峠、富士吉田などの分水嶺を源流にする清流が大月市近くで合流して桂川となり、岩を削って切り立った谷を形作っている。深さが30m以上あるため橋脚を造れず、両岸から四層の支え木(はね木)を組み立てて長さ31mの橋桁を支える、それが猿橋の構造だ。
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伝承に拠れば「推古帝(西暦600年頃)に百済の帰化人・志羅呼が猿が藤蔓を伝って谷を渡るのを見て橋を造った」とある。戦国時代には武田氏の防衛拠点として切り落とされた事例もあり、徳川時代には江戸城と甲府城を結ぶ軍用道路の拠点として重視されたらしい。幕末には近藤勇や土方歳三率いる新撰組の残党が甲府の守護を命じられてこの橋を渡り甲府へ向っている。江戸城の無血開城を考えた勝海舟が京都から撤退した新撰組の処遇に困り、「天領である甲府を防衛すれば甲府百万石を半分与える」という空約束をし、新撰組は甲陽鎮撫隊として出陣したが...近藤勇と土方歳三の故郷である日野周辺で歓待を受け宴会を重ねるうちに甲府城は官軍に占領され、勝沼の戦いで惨敗してしまう。
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中央道の上野原ICから片側1車線の甲州街道をのんびりと15km走っても良いし、大月ICで降りて5kmほど戻るのも良い。どちらの道も空いているし、新猿橋西の信号際の観光バス用無料Pか信号を少し下った猿橋横の無料Pも利用できる。観光シーズンの休日でなければ混雑は見られない。ローカルな観光地だけれど橋の横から西へ続く遊歩道を400mほどの猿橋公園(何もない)や 郷土資料館 まで歩くのも面白い、かも。橋そのものは余り面白くないが谷の深さや切り立った岩壁は一見の価値あり。

     


             左端: 駐車スペースから階段を下ると橋を見上げられる踊り場に出る。橋を支える「はね木」の構造が良く判る。
             左中: 木橋の巾は3m程度、向い側の斜面には住宅が並び、崖上には中学校が建っている。
             右中: 30mを越して切り立った谷は足がすくむ高さだ。すぐ上流にはR20号に続く県道が通っている。
             右端: 下流側には今は使われていない水路橋。上流の駒橋発電所の水を下流の発電所で再利用するために造られた。
                  平成9年に八ツ沢発電所一号水路橋として文化財に登録されている。すぐ先には甲州街道の鉄橋が見える。