2010年 4月初旬 写真をクリック → 拡大表示
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原文
弁官符上野國片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
意訳
弁官局からの命令があった。
上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡から三百戸を分けて新しい郡とし羊に与えた。郡の名は多胡。
これは和銅四年三月九日甲寅の日の宣である。
担当官は弁官局の左中弁で正五位下の多治比真人。
太政官は二品の穂積親王、左太臣は正二位の石上麻呂、右太臣は正二位の藤原不比等。
片岡郡・・・今の高崎市、榛名町、安中市に及ぶ地。
緑野郡・・・今の藤岡市、鬼石町、新町に及ぶ地。
甘良郡・・・今の富岡市、甘楽町、吉井町に及ぶ地。
戸・・・郷戸といい、当時は大家族で生活しており、1戸は20〜30人くらい。
多胡・・・多くの胡人を意味し、朝鮮半島からの渡来人を指すと考えられる。
羊・・・渡来系の人物と推定されるが特定されていない。
弁官符・・・朝廷からの文書を扱う弁官局の通達。
多治比真人・・・飛鳥〜奈良時代の官吏。武蔵七党の一つ・丹党の祖、らしい。
和銅四年・・・西暦711年・元明天皇五年。武蔵国秩父郡(秩父市黒谷)から自然銅が献上された。和同開珎の詳細は 参考サイト で。

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この頁は2019年 8月7日に更新しました。