左:桓武天皇絵像
比叡山延暦寺蔵 室町時代後期の作か
平安遷都を行った第50代桓武天皇を祖とする桓武平氏の他に、54代仁明天皇を祖とする仁明平氏・55代文徳天皇を祖とする文徳平氏・58代光孝天皇を祖とする光孝平氏の三流があるが、歴史に名を留めている大部分は葛原親王の子孫で、武士として活躍したのは高望王の子孫のみ。
惣領家が大掾氏を称した常陸平氏、平貞盛の四男維衡を祖とする伊勢平氏(清盛の系)、平良文の子孫である秩父平氏と坂東平氏、桓武平氏の末裔(を名乗る)伊豆北條氏などが著名な子孫となる。
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元々は源氏一族と共に朝廷の傭兵として警護や軍務に従事していたが経済力と軍事力の充実と共に貴族化し、清盛の父忠盛の頃から政治的な影響力を持つようになった。壇ノ浦で平家一門が滅亡し覇権が鎌倉幕府を開いた源頼朝に移り、その死後は平氏の末裔として権力を握った北條一族が繁栄し、弘安三年(1333)になって清和源氏である足利尊氏と新田義貞に滅ぼされた...「太平記」は鎌倉時代から南北朝時代の騒乱について、「源氏と平氏の覇権争いが底流にあり、源平が互いに興廃を繰り返した」、そんな描き方をしている。
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葛原親王を継いだ桓武平氏には高望王の他に善棟王と高棟王があり、善棟王の子孫は無名だが高棟王流の桓武平氏は公家として京都で活動している。「平」の姓は桓武天皇が建設し遷都した「平安京」から名付けたと考える説が有力らしい。平の和訓(日本語読み)は多比良、そう言えば若い頃の友人に「多比良」という奴がいたなぁ...当時は「変な姓だなぁ」と思ったが、こんなに由緒正しい家柄と知ってたら親しく付き合うべきだったかも知れないね。
※ 下段に貞季から山木判官兼隆に続く伊勢平氏庶流を記載した。
50代桓武天皇─┬─安殿親王(51代平城天皇)──52代嵯峨──53代淳和──54代仁明──55代文徳──56代清和天皇─┬─57代陽成天皇・・・・・
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├─朝原内親王(伊勢斎王・後に異母兄の平城天皇妃) ├─貞保親王、貞辰親王、貞数親王、貞平親王、貞固親王、貞元親王
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├─良岑安世(臣籍降下し大納言まで昇進) ├─貞純親王──経基王(源経基)──源満仲──清和源氏諸流へ・・・・・
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├─神野親王(52代嵯峨天皇) └─貞頼親王、貞真親王、源長監、源長頼、源長献、源戴子、源長淵・・・・・
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├─大伴親王(53代淳和天皇)
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├─高志内親王(異母兄の淳和天皇妃)
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├─葛原親王(桓武平氏の祖)─────┬─高棟王─┬─平惟範┬─時望─(この系統が所謂 高棟流堂上平氏。間に6代を挟んで)─知信──時信──時忠(姉が清盛の継室時子(建礼門院徳子の母・二位尼)、弟が親宗(後白河近臣)、妹が滋子(後白河法皇妃・高倉天皇の生母)、子は時実、時家、蕨姫=義経側室)
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├─伊予親王(反逆の冤罪を受け自殺) ├─善棟王 └─平季長└─伊望── 子は統理・善理・実望
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└─他 ├─高見王(実在は疑問視される。一部系図は「高望王=高見王の子」とするが、ここでは「高望王=葛原親王の子」とする通説に従う)
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└─高望王─┬─国香─┬─貞盛─────────┬─維叙───永盛───頼義
(平高望)│ │ │
│ ├─繁盛─┬─兼忠① ├─維将───維時───直方───維方───盛方(阿多美)───熊谷直貞───直実──直家──直国──直時──直高──直満──直経──直明──在直──信直──堅直
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│ └─兼任 ├─維茂───┐├─維敏
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├─良兼─┬─公雅 └─維幹 │├─維衡───正度─┬─正衡───正盛──┬─忠盛(正室は家盛の実母で清盛の継母池禅尼)─┬─清盛─────┬─重盛(病死)───────────────────────┬─維盛(=惟盛。都落ちに同行せず戦線を離脱し那智の沖で入水自殺、他にも諸説あり)───六代禅師
│ │ (安房守→武蔵守) ││ │ │ │ │ │
│ ├─公連 │└─維幹───為幹 └─貞季 └─忠正────┬─長盛──長光・・・服部氏 ├─家盛(早世) ├─基盛(早世)────────────────────┐ ├─資盛(壇ノ浦で入水自殺)
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│ └─公元 └────────┬─繁貞 ├─忠綱 │ ├─宗盛(篠原宿で斬首)─────────────┐ │ ├─清経(平家都落ちの後に豊前国柳浦で入水自殺)
│ (押領使として下総で将門残党を追討) │ │ │ │ │ │ │
├─良将─┬─将門─┬─良門(伝説上の人物か) ├─繁兼 ├─正綱 │ ├─知盛(壇ノ浦で入水自殺)────────┐ │ │ ├─有盛(壇ノ浦で入水自殺)
│ │ │ │ →越後平氏→ │ │ │ │ │ │ │
│ │ └─将国(後世の安倍晴明説あり) ├─繁成──貞成──資国─┬─資永─資盛 ├─通正──盛衡・・・戸沢氏 │ ├─重衡(南都で斬首)────────┐ │ │ │ ├─師盛(壇ノ浦で討死)
│ │ │ (繁茂) (助国)│ │ │ │ │ │ │ │ │
│ ├─将頼(将門に従って相模で敗死)──将兼 └─繁職 ├─助職※ └─正持──正行・・・仲根氏 │ ├─知度(倶利伽羅峠で討死) │ │ │ │ ├─忠房(壇ノ浦で捕虜となり斬首)
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│ ├─将平(秩父に逃れた、と。皆野町の円福寺に墓あり) └─坂額(浅利義遠(与一)室) │ ├─清房(一ノ谷で討死) │ │ │ │ └─宗実(平家都落ちに同行せずに出家、その後鎌倉に召還される途中で断食し死亡)
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│ ├─将為(将門に従って敗死) 助職※=助茂、資職、長茂、永茂、永用 │ ├─徳子──81代安徳天皇 │ │ │ ├────行盛(壇ノ浦で入水自殺)
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│ └─将武(将門に従って甲斐で敗死) │ ├─盛子(摂政近衛基実室) │ │ │ └────藤原季能(歌人として知られる。娘が藤原定家の室)
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├─良文─┬─忠頼──忠常──子孫は秩父平氏(河越・畠山)、房総平氏(上総・千葉)、中村党(土肥・土屋・小早川)などの系へ。 │ ├─冷泉隆房室 │ │ ├───────清宗(壇ノ浦で捕えられ、近江国篠原宿で父と共に斬首)
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│ │ │ ├─近衛基通室 │ │ ├───────能宗(壇ノ浦で捕えられ、六条河原で斬首)
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│ └─忠光──忠通─┬─村岡忠輔 │ ├─廊御方(母は常盤) │ │ └───────平通盛室(夫の後を追い入水自殺)
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└─良正─┬─公雅? ├─三浦為通─┬─為継──義継─────┬─義明────┬─義澄───┬─義村─┬─泰村 │ ├─花山院兼雅室 │ ├──────────知章(一ノ谷で奮戦後に討死)
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├─公義 │ ├─為直 ├─義行(津久井)├─大多和義久├─胤義 └─光村・胤村 │ └─坊門信隆室 │ ├──────────知忠(平家滅亡の時は4歳、17歳(または21歳)の時に平家再興を図って察知され討たれた)
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├─致成 │ ├─為俊 ├─為清(葦名) └─佐原義連 └─友澄・重澄 ├─経盛─────┬─経正(一ノ谷で討死) │ ├──────────知宗(幼かったため殺されず、官職に就いた後に72歳で死去)
│ │ │ │ │ (壇ノ浦で自殺)│ │ │
│ │ └─鎌倉景通室 └─義實(岡崎)─┬─余一義忠───岡崎実忠 │ ├─経俊(一ノ谷で討死) │ └──────────藤原範茂室(夫は後鳥羽上皇の近臣。承久の乱で鎌倉側と戦って捕えられ相模国早河で刑死)
│ │ │ (佐奈田) │ │ │
│ └─鎌倉章名─┬─良名 └─義清(土屋宗遠の養子へ) │ └─敦盛(一ノ谷で討死) └─────────────良智(鶴岡八幡宮寺の供僧。公暁の実朝暗殺に関する取調べを受けたが嫌疑なし。出典は「鶴岡八幡宮寺供僧次第」の一部「鶴岡八幡宮寺供僧次第」)
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└─致頼─┬─致経 ├─景通──梶原景久─────景清────┬─景時───┬─景季───景望 ├─教盛─────┬─通盛(一ノ谷で討死)─────────────────────通衡?
│ │ │ │ │ (壇ノ浦で自殺)│
├─公親 ├─景村 └─朝景 └─景高・景茂・景義・景宗│ ├─教経(吾妻鏡は一ノ谷で討死、平家物語は壇ノ浦で入水としている。四国に落ち延びた説もある。)
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├─公致 └─景成──景政(権五郎)─┬─景継(大庭)──景宗(甥?)─┬─景義───景兼 │ ├─業盛(一ノ谷で討死)
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└─致光 └─景門 ├─景俊(豊田) │ ├─仲快(14歳で出家した天台宗青蓮院の僧。一門と共に都落ちし壇ノ浦で捕虜となって伊豆配流、赦免後は高僧として朝廷と幕府双方の崇敬を受けた。)
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├─景親(大庭) │ ├─源通親側室(通親は村上源氏嫡流で平安末期~鎌倉初期の大物政治家)
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└─景久(俣野) │ ├─藤原成経室(成経は鹿ヶ谷事件で配流、その後官職に復帰)
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│ └─藤原範季室(範季は後白河法皇の近臣で従二位)
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├─頼盛─────┬─保盛(庶長子。父に従って都落ちしなかった)──────────子に高頼・頼清・保教ら。
│(鎌倉に亡命) │
│ ├─為盛(倶利伽羅峠で討死説などあり)──────────────俊盛
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│ ├─仲盛
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│ ├─知重
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│ ├─保行
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│ ├─光盛(父に従って都落ちせず頼朝の庇護を受け従二位まで昇進。後に実朝の右大臣拝賀に同行し公暁による暗殺を目撃)
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│ ├─静遍(真言密教~浄土宗の僧)
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│ ├─藤原基家室
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│ └─平清宗室
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├─忠度(一ノ谷で討死)──忠行
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├─藤原親政室
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└─源有房室
①兼忠(繁盛)─┬─維良
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├─維茂─┬─繁貞・・・・・・・・・奥山氏に続く。子孫に阿仏尼
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│ ├─繁兼
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│ ├─繁茂(繁成・重衛)・・秋田城氏に続く。
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│ └─繁職
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├─高衡
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└─兼衡───盛兼─┬─信兼─┬─兼隆(山木判官)・・・・・・子孫が秩父に土着して八巻氏・山木氏の祖になった、との説あり。
(庶子?) │ │
└─経隆 ├─兼衡
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├─信衡
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└─兼時
※維良と維茂は同一人物説あり。
※維茂は貞盛(父繁盛の兄)の養子になっている。
※信兼の息子 兼衡・信衡・兼時は元暦元年(1184)8月の三日平氏の乱で義経の堀河邸に呼び出され殺されている。