鎌倉山ノ内 宝亀山長壽寺 伝・足利高氏の鎌倉邸跡 

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長壽寺門内は長く非公開だったが、現在は春(4〜6月)と秋(10〜11月)の金曜〜日曜+祭日の10〜13時のみ公開している(法要がある日と雨天は中止、
拝観は300円)。鎌倉にある多くの寺社と同様に境内の手入れは行き届いており、方丈から美しい庭を眺めて憩う至福の時を味わえるようになった。
一眼レフでの写真撮影は原則禁止だが、小型のデジカメの使用は許されている。たぶんカメラ小僧かカメラ爺による節操に欠けた行為があったのだろう。


     

              左: 山門の正面、平成18年に新築された本堂には新たな本尊として釈迦如来像を祀っている。旧本堂は観音堂で、本尊も観音菩薩像だった。
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              中: 本堂の右側が方丈(禅寺様式の住職居室・客殿)、その右側に建つ観音堂(旧本堂)は三間(3スパン・3.4m)の方形で茅葺、元は奈良の
円成寺(公式サイト)にあって老朽化した多宝塔の初層部分を大正末期に解体し、移設して立て直したもの。
真言宗の円成寺から臨済宗の長寿寺に譲られた経緯は判らないが、堂内に祀る観音菩薩立像は中国元時代(1271〜1368)の造像で戦前に日本に
入ったもの、と伝わる。本堂と本尊が両方とも本来の姿ではないのは寂しい限りだが、これも世の習いか。
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              右: 観音堂裏手の「やぐら」に異形の石塔と並び一部が欠損した宝篋印塔が建っている。延文三年(1358年・南朝年号の正平十三年)に矢傷が元で
京都で没した尊氏の遺髪を葬った墓石と伝わる。墓は京都の 等持院(wiki)にもあり、尊氏の法名は京都では等持院殿仁山妙義大居士、鎌倉では
長寿寺殿仁山妙義大居士長寿寺殿が使われている。
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※矢傷: 晩年に対立して滅ぼした実弟の直義の養子・直冬(尊氏の庶子)と戦った文和三年(1354)の合戦で負傷、これが悪化したらしい。

この頁は2022年 9月 6日に更新しました。