伊豆山権現の原点 本宮神社 

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伊豆山神社の変遷 右:日金山→ 中の本宮→ 伊豆山神社への変遷    画像をクリック→拡大表示
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本宮神社は岩戸山を経て 日金山東光寺(別窓)に至るハイキングコースの途中なのだが、開発中の別荘地や舗装道路が混在しているため実に判りにくい。時間の余裕があって歩くのを厭わなければ、伊豆山神社(別窓)本殿の前を左へ進み、子恋の森公園に向う良く整備されたハイキングコースを辿るのが最も簡単で、公園の奥を抜けて別荘地を50mほど歩いた先が参道の入口となる。
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伊豆山神社本殿から本宮神社の前までは約2km弱、体力に自信がなくても特に問題のないルートである。山道を登るのが面倒なら自動車学校前に熱海駅行きのバス停もある。
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車の場合は熱海自動車学校が取りあえずの目標で、湯河原と熱海のどちらからも行かれるが坂道とカーブに要注意。自動車学校敷地の右脇を道なりに突き当たりまで進むと右側に案内地図があり、その先を左に下ってすぐ右折すると200mで神社裏手のT字路に出る。これが一番簡単な参拝ルートだ。
ついでに書くと、大きな被害を出した土砂崩れの基点が本宮神社から200m弱のこの地点 (地図)、今の状況は不明だが。
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正式に一の鳥居から参道を進みたいなら、右折しないでそのまま道なりに下り、急な下りの細道を躊躇せずに右へ、その200m先が参道の入口(地図)になる。鳥居の前から
本殿までの参道は約300m、少し荒れているが雰囲気は良い。
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伊豆山権現の草創伝承などに拠れば当初の本殿は日金山頂にあり、この本宮神社の地を経て承和三年(836)に現在の伊豆山権現の地に遷座した。ただし噴火や地殻変動が頻発
していた時期に本殿が日金山頂にあったとは考えにくく、当初から本宮の場所にあった筈だと推定する説が史実、かも知れない。


     

           左: ここが本来の参道入口か。小さな鳥居と石祠があり木立の中に石段が延びている。撮影場所の背後は別荘地のすぐ先で行き止まり。
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           中: 落ち葉の積もった参道は尾根沿いを急傾斜で続く。次の鳥居に近づくまで石段は途切れ、崩落防止の簡単な横木が固定されているだけ。
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           右: 息を切らして300mほど登ると磨り減った石段が現れて鳥居に行き着く。創建当初の構造物なら千数百年を経ている...なんて思うと
身が引き締まるね。この上に平場が開け、奥の高みに赤い本殿が見える。


     

           左: 社殿の前は掃除されているが、これは片隅にブランコなど幼児用の施設がある関係だろう。どこにでもある鎮守の森の雰囲気だ。
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           中: 本殿の扉には掛け金は付いているが施錠がないため内部を撮影した。御簾を巻き上げた奥に石祠が鎮座している。江戸時代初期には一から三までの
鳥居が建ち、東西五間(9m)×南北三間半(6.3m)の拝殿と、その周囲には求聞持堂と東西三間×南北二間の建物があったと伝わっているから
承和三年(836)に現在の伊豆山神社に遷った後も相当な規模を維持していたと考えられる。
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その伊豆山神社は秀吉の小田原攻め(天正18年・1590年)の兵火で焼かれ、この時は被害を免れた「中の本宮」の社殿群も江戸時代後期の
野火で焼失した、と伝わる。
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           左: 内部を覗く誘惑が一瞬だけ心を横切ったが、辛うじて自制した。この石祠が1200年以上前に日金山頂から遷座した御神体か?と思ったので。
伝承に拠れば、承和三年(836)に現在の伊豆山神社の地に遷座しているのだから、ここに残っている筈はない、か。
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※求聞持堂: 虚空蔵菩薩を本尊として記憶力増進のため行う密教の虚空蔵求聞法を修する道場らしい。「公文」の語源かな。

この頁は2022年 7月16日に更新しました。