沼津 かつての黄瀬河宿駅の風景 

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時政後妻の牧の方は平頼盛清盛の異母弟)に仕えて駿河国大岡牧(官牧、後の大岡荘)を領有した牧宗親の娘(妹とも)である。出自に関しては諸説あったが、現在では清盛の継母藤原宗子(池禅尼・清盛の父平忠盛の後室)の姪と考えるのが定説となっている。
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実家は待賢門院(七十四代鳥羽天皇の中宮)の近臣で美福門院(鳥羽天皇の皇后)にも繋がりがあり、下級ではあったが貴族に列していた。熱田神宮家の意向を汲んだ池禅尼が平治の乱で捕われた頼朝助命に尽力した事を端緒に、頼朝政子時政牧の方−池禅尼という人脈が出来ていた可能性もある。
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大岡牧は現在の沼津〜裾野に跨る黄瀬川の西岸で南端を東海道の宿駅黄瀬河に接しており、平泉の 藤原秀衡 に庇護されていた 義経 が奥州から合流した際に頼朝が本陣を置いた 清水八幡社(別窓)にも近い。また 曽我の仇討ち事件(別窓)で討たれた 工藤祐経 と王籐内の宿舎に同宿した亀鶴が黄瀬河宿の遊女だった事も記録されている。
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【 吾妻鏡 建久四年(1193) 5月28日 】
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深夜、故 伊東祐親 法師の孫である 曽我十郎祐成五郎時致 が富士野の狩宿に討ち入って工藤左衛門尉祐経 を殺害した。同時に備前国の住人吉備津宮の王籐内も共に殺された。王籐内は平家残党の瀬尾兼保に協力した疑いで鎌倉に拘留されていたが、祐経の証言によって去る20日に本領を安堵され、帰国の途についた。途中から祐経の好意に謝するため引き返し、酒宴の後に同宿していた者である。このとき同宿していた手越の少将と黄瀬河の亀鶴が大声で叫び、祐成兄弟が仇討ちの名乗りを挙げ、これによって大きな騒動となった。〜後略〜 
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黄瀬川は御殿場市を源流として富士山の水を集め、沼津市のほぼ中央を流れて狩野川に合流する、本流を除いた狩野川水系で最も長い川(流程は約31km)だ。
富士の湧水で名高い柿田川の約2km西、富士川合戦の行われた場所から15kmほど東に位置する。旧東海道は狩野川に合流する地点から少し上流に渡し場があった。
更に約30Km上流が御殿場市、足柄峠(別窓)に向かう旧東海道の西側の登り口でもある。

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           左: 旧東海道(足柄道)の黄瀬川橋から、国道1号旧道に架る上流の黄瀬川大橋の方向を。愛鷹山に隠れて富士山の頂上が少しだけ見える。
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           中: 国道1号に近づいた黄瀬川右岸から。この対岸右方向に 頼朝義経 が初めて顔を合わせた八幡神社があり、対面石が残っている。
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           右: 黄瀬川の下流方向に狩野川に架る香貫大橋が見える。右側は駿河湾を見渡す展望台のある香貫山(193m)、以前ドライブで登った時に
頂上近くの五重塔(戦没者慰霊塔)で巨大な猪が散歩してるのに出会ったっけ。あの時はマジに驚いた!この辺は多いんだよね。
遠くの山並みは西伊豆の戸田峠に近い金冠山(816m)か達磨山(982m)だと思う。どちらも展望の素晴らしいハイキングコースだ。


     

           左: 黄瀬川から約400m西の東海山潮音寺(臨済宗妙心寺派)、本尊は恵心作と伝わる聖観音像。亀鶴に関する伝承は潮音寺ではなく、
明治初期に廃寺になった亀鶴山観音寺に伝わっていたもの。本尊の観世音菩薩石像(伝・空海作)と共に潮音寺に引き継がれた。
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           中: 臨済宗ではあるが、空海との縁によって駿河国札所三十三番(結願)とされている。札所本尊の観世音菩薩は亀鶴観音と呼ばれている。
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           右: 遊女の亀鶴は木瀬川村(旧名)の長者の娘で観音菩薩に祈った末に産まれた娘だったとか、駿河国に名高い絶世の美女だったとか、その噂を
聞いた頼朝が招いても応じなかったとか、18歳で黄瀬川上流の鮎壷の滝で入水自殺したとか、藍の壷に身を投げて死んだとか、曽我兄弟に
討たれた祐経の後を追って自殺したとか...かなり多様な伝承がある、らしい。

この頁は2022年 7月17日に更新しました。