関東十刹の一つ、那古谷の国清寺 

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頼朝挙兵から180年後の室町時代、足利高氏(尊氏) の次男・基氏(1340〜1367)は鎌倉公方として関東10ヶ国を支配し、その執事を勤めたのが
伊豆守護で修禅寺城主の畠山国清(?〜1362)。後に基氏に叛いて修禅寺の城山に籠城したが敗北して落ち延び、零落の果てに京都山城で没したと伝わる。
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彼がが開いた国清寺は小さな律宗寺院だったが慶安元年(1368)に関東管領の上杉憲顕の寄進を得て修復し、開山和尚に無礙妙謙を迎えて禅宗に改めた。
室町幕府三代将軍足利義満(在職:1368〜1394)の時代には子院が78、関東十刹に数えられるほど巨大化している。臨済宗円覚寺派、広い境内を持つ
大きな古刹だが、無住である。

 
     

           左: 静かな木立の中にたたずむ釈迦堂。正面から見ると本堂の手前にあり、離れた場所から見ると山門と思うような雰囲気を持っている。
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           中: 現在は無住で、300mほど北の徳隣院(塔頭の一つ)の住職が兼務し座禅会が開かれている。すぐ横の高岩院(伊豆八十八ヶ所の15番)も
同じ臨済宗円覚寺派だが直接の関係はないらしい。ちなみに、毘沙門堂参道入口にある「菩薩林」は高岩院の別院である。
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           右: 父の関東管領憲房の追善供養のため建武三年(1336)の死から間もなく憲顕が建立した、と「鎌倉大草紙」は伝えている。


     

           左: 釈迦堂中央に置かれた本尊の釈迦如来像。鎌倉初期の慶派の作で夜以外は自由に拝観できる(2010年春現在は昼間も閉鎖・施錠)。
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           中: 本堂の左を進むと右側に畠山国清と上杉憲顕の墓所、曲がらずに直進すると20mほどで開山である国清を祀る開山塔がある。
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           右: 開山塔の先は一面の農地が広がる。背後の椎の木は樹齢800年と伝わるから、国清が生きた時代には既に大木だった事になる。


     

           左: 本堂左手の畠山国清と上杉憲顕を弔う慰霊墓。憲顕は足利尊氏の従兄弟で国清に代って関東管領を務め、山内上杉家の祖となった人物。
法名は国清寺桂山道昌、慰霊墓建立の経緯は不明だが子孫の一部が関東に土着した関係だろうか。
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           中: 畠山国清は伊豆国の守護として権勢を振るったが政争の末に没落して逃亡、放浪の末に山城(京都南部)で死んだ(斬殺された、とも)。
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           右: 向き合っているのは陪臣の墓石だろうか、或いは縁者を弔ったものだろうか。詳細を記すものもなく、ひっそりと佇んでいる。