三嶋大社に近い間眠(まどろみ)神社 

 
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祭神は豊受姫命(とようけひめのみこと)、食物や穀物(神の名で「うけ」)を司る女神である。後に稲荷神と習合して同一の神と考えるようになった。
東本町の旧名は二日町、毎月二日に市が開かれたのが地名の由来で、間眠神社は市を守護する神でもあった。地元では「まどろみさん」として親しまれている。
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古い時代・もちろん鎌倉時代よりはるか昔に韮山長崎(蛭ヶ小島の北2km・地図)にあった稲荷の祠が狩野川の氾濫でこの地に流れ着き、元の場所に戻そうとしても
動かなかったのでそのまま祀ったのが神社の創建と伝わっている。その縁により8月1日の例大祭には長崎から重量80kgの大注連縄(おおしめなわ)が奉納される。
編むのに手間が掛かるため木彫りの注連縄に変えたところ疫病が蔓延し、これを神罰と受け止めて藁の注連縄に戻した、と伝わる。
ちなみに、鎌倉幕府の樹立後に 頼朝 は長崎の地を三嶋大社に寄進した、らしい。


     

           左: 少し離れて撮影したかったが、住宅密集地で道路巾も狭いため神社全景を収めるのはムリだった。敷地はそれなりに広いのだけれど..。
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           中: 500m東の大場川は3km南の肥田(挙兵した頼朝軍が北に迂回した進軍ルート・長崎の西に接する)で狩野川に合流し、水量を増やしつつ
大きく曲がって駿河湾に流れ込む。祠のあった長崎は肥田の近くだから3〜4kmの範囲が水没した計算で、大場川・来光川・境川が南北に流れる
一帯は今でも水害が頻発している。
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           右: 無人ではあるが樹木が多くて管理が行き届いており、雰囲気の良い社である。


     

           左: さすがに直系1mの大注連縄は太い。8月1日の例大祭は珍しいが、台風に伴う出水で祠が流れ着いた時期に基づいているのだろう。
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           中: 社殿右手の広場には地域のコミュニティセンターが建っている。鳥居前の道は三嶋大社の大鳥居に続く現在の下田街道から100mほど西側を
南北に通っており、町中ではあるが古道の雰囲気を良く残している一角だ。
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           右: 大正初期に撮影した神社周辺の風景。一面の田畑は既に跡形もなく、伊豆箱根鉄道の駅と商業施設に近い住宅密集地に変貌している。

この頁は2022年 7月18日に更新しました。