鎌倉時代の瓦を焼いた窯の跡で、昭和六年に国の史跡に指定された。周辺からは斜格子模様の平瓦や剣頭紋の軒平瓦が出土し、その一部は鎌倉永福廃寺(二階大堂)から
発掘された瓦と酷似しており、この付近の粘土で焼いた瓦を鎌倉に運んだと推定できる。平成元年の発掘により全長330cmの窯が平行して四基あったのが確認された。
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当時の鎌倉街道は一本の幹線ではなく幾つもの枝道が複合していたルートで、鎌倉に向かう荷駄のための輸送路の一つがこの近くにあったらしい。
利根川を渡って鎌倉に進軍する
新田義貞 勢が越後および信濃から南下してきた援軍や
足利高氏 の嫡子と合流したのはこの付近かも知れない。