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正直に書くと、日朝上人以前の朝善寺については良く判らない。1300年代(室町時代初期か)に伊豆・東海地方に巨大地震が発生し、他の地域と同様に宇佐美の烏川流域の全てが津波によって流出した。当然ながら川沿いにあった宇佐美氏の菩提寺も墓石も壊滅的な被害を受け、何とか回収できた五輪塔や宝篋印塔は数ヶ所に遷して祀られた、その一つが朝善寺だった可能性がある、という事。津波の時期と朝善寺草創の時期が近い事に加えて地元に残る「網代峠に向う古道近くに祀られた」云々の伝承が示しているのが朝善寺...残念ながら裏付ける根拠も史料も見当たらない。
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訪問した時には住職も留守だったため、寺伝などの由来を確認する事も出来なかった。折を見て再訪問しようと考えている。

左: 標高44mほどの朝善寺境内から宇佐美の海を眺める。中央の海辺には「海のハトヤ」、その背後にはポツンと大室山が眺められる。
中: 古い石造物は二基の宝篋印塔しか見当たらない。ひょっとして私が辿り着いたのは宇佐美一族とは無関係の場所だったか...。
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右: 網代から宇佐美に下る東浦古道に建つ道標。「ひだり いとうみち」と「みぎ いりやみち」と読めるが、「いりや」の場所は判らない。峠の下り道を
右へ折れて道標の示す「いりやみち」を辿ると朝善寺方向だから、参詣ルートを案内しているらしい。