平塚 前鳥(さきとり)神社 

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相模国府の変遷 右:相模国府の位置 諸説    画像をクリック→拡大表示
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前鳥神社の位置は相模川旧右岸(西岸)の自然堤防先端にあり、崎島あるいは先島が転じて前鳥(さきとり)になったらしい。
相模国六ヶ所の神社の中では川匂神社と比々多神社の創建が最古で(紀元前だから神話の部類だけど)、四之宮・前鳥神社も延喜式神名帳(901〜923年)に記載された創建1640年を経た古社と伝わる。
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西暦370年は仁徳天皇の時代で、明日香村(別窓)に都があった時代より更に100年以上も前、全て神話の時代だ。
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律令制に従って各地に国府が置かれたのは飛鳥時代の後期から奈良時代の初頭(680〜790年頃)。相模国府が1100年前後に四之宮・前鳥神社周辺(大住郡)から大磯(余綾郡)の 六所神社(別窓)周辺に移転したのは概ね間違いないのだが、@最初から大住郡だった。 A当初は国分寺のあった海老名で、その後大住郡に移った。 B当初は千代廃寺のあった小田原で、その後大住郡に移った。 の諸説があり、確定していない。
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平安時代の末期、頼朝 が挙兵した時代の国府はもちろん大磯の国府本郷一帯である。
鳥瞰画像を加工するよりも、立派な歩道を併設した湘南銀河大橋から四之宮一帯を撮影する方が面白い写真が撮れるかも知れない、と後から気が付いた。
この場合も前鳥神社から600mほどを歩けば済む。


     

           左: 東側から相模川を渡って車でアプローチする場合、湘南銀河大橋を渡り切った最初の信号が前鳥神社の参道に直結するのだが...右折禁止。
200m先の大橋西側交差点を右折し道標に従って西側の狭い道を進むことになる。
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           中: 境内の前には参拝客用(兼・付属幼稚園の送迎用)の広い駐車場が設けられているから、時間があればここをベースにして高林寺周辺の
国府跡推定地(バイパスだけで何もないけど)や相模川河川敷緑地などを散策しても良い。
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           右: 元々の祭神は菟道稚郎子命、後に大山咋命・日本武尊を合祀し三柱を前鳥大神としている。菟道稚郎子命は第十五代応神天皇(在位270〜
310年)の皇子で、兄(後の仁徳天皇)に皇位を譲るため自殺したが、実は一族を率いて東国に移った(可能性もある、程度のレベル)人物。
東征の途上にこの地で休憩した日本武尊を写した面(おもて)を社宝にしているのも面白い。例大祭は9月28日。


     

           左: 長い参道を囲む社叢は平塚八景にも指定されている。400m東を流れる相模川が中世には社地の付近で東南に流路を変え、小出川東岸の
相模川橋脚遺蹟(別窓)を流れ下っていた、それを地図上に落として、うれこれと想像するのも面白い。
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           中: 大磯の神揃山に相模国五社の神が集まる相模国府祭(5月5日)は見逃せない神事だ。当然、前鳥大神も大磯まで出張することになる。
吾妻鏡 建久三年8月9日に政子の安産を祈るため相模の神社と寺に馬を寄進した記述があり、その中に「四宮前取大明神」の名が見える。
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           右: 今でも二の鳥居横に鐘楼と梵鐘が残っているのは珍しい。神仏習合時代の名残を今に伝えている。

この頁は2022年 8月 4日に更新しました。