安政二年(1855)編纂の利根川図志などに拠れば...思案橋から引き返した静女は取り敢えず高柳寺に向って前林の里まで戻り、ここで食事を摂って
箸に使った椿の枝を土に挿した。一本は義経の菩提を弔うため、一本は産まれてすぐに鎌倉の海に沈められた我が子の菩提を弔うためである。
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果たして椿は大きく育ち、何代にも渡って見事な花を咲かせるようになった。また傍らに生えている柳の枝を結んで再び奥州へ向う時の目印にした。
これが「静の椿」と「結びの柳」であり、この地が静帰(しずかがえり・しずごり)の小字で呼ばれるようになった由縁、と伝わっている。
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二本の樹は排水機場のある釈水土地改良事務所の敷地に、完工記念の石碑などに並んで残っている。高柳寺に向った静女は伊坂(栗橋町・
地図)まで
引き返したが既に生きる望みを失っており、三ヶ月後の9月に短い人生の幕を閉じた。