石川県にある 22駅の中で 14番目に開業した駅   倶利伽羅くりから 源平の郷  

左側に目次の表示がない場合は こちら をクリックして 石川県の道の駅・フレーム表示 に切り換えて下さい。
掲載した画像などを転用する場合は事前に連絡し、出典を明記してください。リンクは御自由に、どうぞ 。
記載は全て訪問時点の情報です。特に時間や価格など、変更されている可能性に御注意ください。


〜画像をクリック → 拡大表示 〜  石川県の道の駅へ      道の駅のトップへ   「旅と犬と史跡巡りと」のトップへ

.
【 広い芝生が快適で、展示コーナーも充実している。貧弱な売店と16時から18時の入浴不可に要注意。 】

鳥瞰図
特に源平合戦当時の史跡が残っている訳ではないが、木曽義仲が平家の大軍を壊滅に追い込んだ倶利伽羅峠の古戦場まで約4km、史跡見学の拠点に利用できる。北陸三県(富山・石川・福井)には何しろ見所が多いから、せめて一週間程度の日程は確保したい、と思う。この駅には手入れの良い芝生広場や予想よりも美味しかった食事処や、質素ではあるが快適な温泉施設を備えているのも実にありがたい。
.
駅舎は二棟に分かれており、国道側は情報コーナーと広い展示室に併設した休憩施設、芝生を挟んだ奥には宿泊施設に付属した温泉と休憩コーナーと狭い売店が大きな建物に納まっている。そのすぐ隣が食事処で、何を食べたか忘れてしまったが、間違いなく悪くなかった。今でも当時(2013年頃)のままならば、お薦めできる。
.
念のため併記しておきたいのは、牛の角に松明を結びつけて突進させる所謂「火牛の計」は中国の戦国時代に斉の将軍が採用した(と伝わる)戦法で、そんな事実や噂があれば間違いなく載せる筈の平家物語や源平盛衰記にも書かれていない。江戸時代の講釈師が勝手に作り出した脚色...それが現代の通説になっているのは知っておきたい。地形を知り尽くした義仲が立案した奇襲作戦の勝利だった。
.
能登と同様に石川県南部も見所にも事欠かないし、温泉を備えた道の駅も多い。のんびりと旅情を楽しもう。ただし、駅舎の方は設備も整っていて機能的にも満足だが宿泊・温泉棟のターゲットは宿泊客のみ。「立ち寄り客はサービスの対象外」みたいな雰囲気があるから、多少の不愉快さは覚悟しておこう。快適マークは外しても構わないし、個人的には他の駅をP泊場所に選ぶ。

基本データ

河北郡津幡町字竹橋  076-288-1054  休業:第3曜日  国道8号沿  日本橋から一般道で 291km

リンク先

近くの駅は

駐車場

公称は大型車5台+普通車62台だが、宿泊・温泉施設を含んでいる。駅舎前のPは狭くて利用しにくいし騒音もある。

騒 音

国道沿いは通過車両の騒音があり大型車の出入りも多い。温泉棟横がP泊向きだが苦情を受ける可能性あり。

物 販

宿泊・温泉施設にある売店は8時半〜21時、簡単な土産物がメインで魅力なし。ヤマザキショップを併設している。

食事処

11時半〜20時、狭いがメニューも味も悪くない。価格設定はごく普通、8〜9時には朝食も扱っている。

軽 食

食事処が軽食を兼ねる。

休憩施設

8時半〜20時、展示棟と休憩所は快適で文句なし、宿泊客が少ない日ならロビーも落ち着ける。

トイレ施設

展示棟と宿泊棟ロビーはウォシュレット設備付きで管理も行き届いている。24時間トイレは確認を忘れてしまった。

入浴施設

併設の「源平の湯」は火曜〜土曜は10時〜16時と17時〜20時半、日曜のみ10〜20時半・第一月曜休み。沸かし湯でシャンプー類なし、300円は妥当なレベル。それ以上だったら非常識だろう。基本的に宿泊客用でサービス精神は欠如している。

犬の意見

芝生も快適だが津幡川の両岸に遊歩道が続いている。桜の季節には実に見事らしい。線路を渡った農道も散歩できる。

近隣の見所

何はともあれ倶利伽羅峠の古戦場、軍記物語から引用した虚実混在に注意(笑)。保存の良い北陸古道の散策も楽しめる。
古戦場を歩いたらすぐ近くの倶利迦羅不動寺へ。弘法大師所縁の古刹で数回の火災のため見るべき寺宝・堂塔はないが。

P泊する時の
総合評価
  ★★★★★★  一応、快適マーク。「高松」を除けば、近くの駅の大部分で快適なP泊ができる。


     

        左:
        中:
        右:


     

        左:
        中:
        右:


     

        左:
        中:
        右:


     

        左:
        中:
        右:


     

        左:
        中:
        右:


     

        左:
        中:
        右:


     

        左:道の駅の片隅に置いてある「火牛の計」のレプリカ。角に縛り付けた炎が少し臨場感に欠ける。
        中&右: 峠に残る北陸古道の跡は現在の富山県と石川県の境にある砺波山の峠。合戦は旧暦の5月11日、平家は10万余騎の大半を失った。


     

        左:峠に建つ源平両軍の配置図。平家軍は地獄谷に蹴落とされたと言われるが..これは合戦を面白く脚色した創作に過ぎない。
        中&右: 峠道は急坂だが、断崖絶壁と表現するほどではない。義仲軍の夜襲と地の利を把握した挟撃で平家軍が総崩れしたと考えるのが妥当。


     

        左&中: 倶利伽羅峠に建てられた源平供養塔。少なくとも1万以上の死傷者を出して敗走した合戦が平家の命運を決めたのは間違いない。
        右:平頼盛の次男・為盛を供養する為盛塚。源平盛衰記は樋口兼光に討たれたと書いているが、為盛は後の資料にも現れるため真偽は疑問だ。