元久二年(1205)6月22日に
畠山重忠 が謀反の冤罪を受け二俣川で討たれた時、甲冑も着けていない134騎の重忠一行を襲った鎌倉軍は一万騎を越していた、と伝わる。まぁ話を五分の一と考えても二千騎以上、大手軍を率いたのは
北條義時 で搦め手に任じたのが弟の
時房 と
和田義盛 だった。
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従って、この時点での北條氏と和田氏の関係に対立の要素がなかったのは間違いない。綻びが見え始めたのは4年後に62歳の老将義盛が上総国司の地位を望んだ頃からだろう。有力御家人を一人づつ倒そうと考えた北條氏の狡猾さに驚くべきか、同じように殺されていく側の愚かさを嘆くべきか。
右:住宅密集地の和田塚、前のゴミ集積場が少し寂しい。 画像をクリック→拡大表示
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【 吾妻鏡 承元三年(1209) 5月12日 】
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和田義盛 が(非公式に)上総国司着任を願い出た。将軍 実朝 が尼御台所 政子 に相談したところ、「前将軍(頼朝)の時代には武士の国司就任は禁じられていたが、新たな例※を設けるのであれば、女の私が口を出す事ではない」と答えたため、結論を出すことができなかった。.
※新たな例: 頼朝の時代には御家人の国司就任はなかったが、
北條時政 の遠江守着任は四年前の正治二年(1200)4月。
また、義盛が国司を願った時には既に義時が相模守で時房が武蔵守だから「新たな例」ではない。
おなじ立場の御家人として明らかなダブル・スタンダード、北條一族の横暴である。
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【 吾妻鏡 承元三年(1209) 5月23日 】
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和田義盛が 大江廣元 に書類で正式に上総国司着任を願い出た。治承四年以来の勲功を書き連ね、生涯唯一の心残りである、と。 .
【 吾妻鏡 承元三年(1209) 11月27日 】
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和田義盛の上総国司着任について内々に計らっているから暫く決裁を待つようにとの通知があり、義盛は大いに喜んだ。
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【 吾妻鏡 承元五年(1211) 12月20日 】
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和田義盛は上総国司着任を諦め、四男の義直を通じて上申した書類の返却を廣元に申し入れた。申請に対して暫く待てとの内意があったにも関らず返却を願うとは、将軍の
思いを軽視※しているのではないか。.
※将軍を軽視: 義盛が上申書を出してから二年半、「内々に計らっているから暫く待て」との通知があってから考えても、既に丸二年が経過している。保留になっていた
期間を考えれば短気な義盛が申請を取り下げるのは当然だし、それが執権義時の意思だろうと考えても無理はない。「将軍の思いを軽視」の表現は比較的
温厚な廣元や決断力に乏しい実朝ではなく、義時あるいは吾妻鏡の著者の歪曲だろう。
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梶原景時 を滅ぼし、
比企能員 を滅ぼして二代将軍
頼家 を殺し、源氏譜代の忠臣
畠山重忠 を滅ぼした北條氏(
時政 +
政子 +
義時)は次の目標を
和田義盛 に定めたのだろう。
吾妻鏡の恣意的な虚偽記載から判断すれば、たぶん義時は事前に
三浦義村 との打ち合わせを済ませた可能性も、と思う。
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優柔不断な実朝を掌中に確保して義盛を逆賊に仕立て上げ、他の御家人が北條に敵対できない状況に置く、義時の政治力の勝利である。
後に三代執権となる
北條泰時 の言葉が合戦の背景を物語っている。もっとも、この話を記載する事も吾妻鏡の権力者偏重を物語っているのだが...。
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【 吾妻鏡 建暦三年(1213) 5月8日 】 和田合戦後の恩賞。泰時は辞退のポーズを見せ、結局は「将軍の求めに従って」受け取ったんだね。
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夜になって泰時が御所に入り、今回の勲功を辞退する旨を奏上した。再三にわたって固辞を重ねるためその理由を尋ねると「義盛は将軍に対しては逆心を持たず、相模守
(義時) に敵対したのである。父の敵と戦って恩賞を得るのは筋が通らないから、私への勲功は合戦で落命した多くの御家人に宛てて欲しい。」と。
人々はこの言葉に感嘆したが、将軍は重ねて勲功の授与を指示した。

左: 江ノ電で鎌倉駅から一つ目、のんびり歩いても700mの和田塚駅。和田塚は50m先で、約300m東には若宮大路の一の鳥居がある。
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中&右: ついでに、約300m鎌倉駅寄りの「六地蔵」。建久十年(1199)に問注所(簡単に言うと裁判所)が400m北
(ただし、「多くの人骨と馬の骨が出土した」との記録は少々気になる。鎌倉時代の由比ヶ浜は死者の埋葬場所だったから人骨は兎も角として
馬の骨が軍馬だった可能性はありそうだ。鎌倉幕府滅亡の際にも多数の戦死者がこの一帯に葬られている筈だし、実際に由比ヶ浜〜材木座に
かけて人骨が出土した例が多いから、古墳を墓地に利用した可能性も高い。中には人骨の80%以上に深い斬創が認められる例もある。
実際に300mほど南東の鎌倉簡易裁判所敷地からは900体以上の遺骨(成人男子)が見付かっている。
【 鎌倉時代を歩く 四 】の
長崎親子の奮戦 の項の末尾を参照されたし。