陽谷山正覚寺(ようこくさん しょうかくじ)は
甲斐国百八霊場 (wiki) の七十番札所で現在は曹洞宗、本尊は
虚空蔵菩薩 (wiki) 。
元々は高根町村山北割の旭山
※にあった天台宗の寺を永享二年(1430)に若神子館の山裾に移転し、曹洞宗に改めた。当時の武田氏当主は十四代信重(信玄の五代前)、
頼義 →三男
義光 →二男
義清 →長男
清光 →二男(双子)
信義 →三男
有義 と続く系で、逸見氏と武田氏との守護を巡る争いなどで甲斐国に内乱が続いた室町時代である。
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鎌倉時代初期から移転時期までの経緯は不明だが、初代の
武田清光 の居館があった跡が寺になった可能性もあり、若神子の峰が詰めの城だったのかも知れない(
地図)。
ただし室町時代以前の遺構は確認できていないため、単なる伝承と考える説も根強い。
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※旭山: 正覚寺から約5km北で、道の駅
南きよさと(別窓)手前1kmの左側、佐久往還(国道141号)に沿っている(標高912m)。
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永享二年は武田氏14代・信重の世代であり、その五代後が信玄(晴信)となる。南北朝時代の戦乱を経て多少の変動はあったが、
武田信義 の四男
信光 が甲斐の実権を握って
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清光は大治二年(1127)に義光を弔うためここに菩提寺を建立した、と伝わる。佐久往還は軍事通信網の烽火ルートや信濃を攻める軍道として使われ、旭山も武田氏の出城
として使われていた。川中島で謙信と対峙した武田信玄にとっての要衝でもある。
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正覚寺正面の石段を登ると天保年間 (1830〜1843) 建造の山門に至る。間口3間半(約640cm)×奥行3間(約550cm)、楼上に釈迦三尊・十六羅漢・十六善神
を祀っている。山門を潜った正面に明和年間 (1754〜1771) 建造の本堂、右に貞享年間 (1684〜1686) 建造の鐘楼、左に文化年間 (1804〜1817) 建造の
経堂がある。義光の慰霊墓は本堂左の急傾斜の石段を登った平場の五輪塔で年号は確認できなかったが比較的新しく、特筆する程ではない。
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庫裏は文政年間 (1818〜1829) の建築で
田能村竹田 (wiki) の山水画や雨乞の龍、また同じ武田氏の子孫 三枝雲岱の絵などを収蔵している。また武田信玄が信濃(大門峠
(
地図) とも)で光り輝いていた石地蔵を甲斐に移すため縄を掛けて運んだが、正覚寺の門前で動かなくなったためこの寺に納めた。「味噌なめ地蔵」の名も広く知られている。
病気に罹っているのと同じ部分に味噌を塗って祈れば治癒するとされ、も味噌だらけの異様な姿である。背中には信玄が掛けた縄の跡が残っているという。ただし境内ではなく、
山門を出て国道を横切った先の旧道近くにある。かつてはここが参道の入り口だった。