伊豆長岡 北條義時の江間館跡 

 
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守山周辺の鳥瞰 右:大部分が願成就院の苑地だったと伝わる守山の東麓  画像をクリック→拡大表示
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江間郷(旧くは依馬郷とも)は町村合併などで江間村→伊豆長岡町→伊豆の国市と名称を変えている。
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かつて 北條義時 の館があったと伝わる場所は大正三年(1914)に江間尋常高等小学校の敷地となり、昭和五年(1930)には忠魂碑が建てられた。その際に当時の帝国海軍が提供した魚雷が展示され、同年11月26日に発生したマグニチュード7.3の 北伊豆地震(別窓)による最初の縦揺れで上下の傷を、次の横揺れで長さ72.5cmの傷を残した。現在は国の天然記念物としてガラスケースに陳列されている。
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従って現在のグラウンドは(古い順に)江間小四郎義時の館跡であり、江間尋常高等小学校跡であり、忠魂碑と北伊豆地震の痕跡であり、現在は民間企業の所有する江間グラウンドとなっている。 (地図)。
近くには義時が深く崇敬していたと伝わる豆塚神社(画像)がある。
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> 社伝に拠れば、かつての江間と北條は同じ郷だったが狩野川が中間を分ける流路であり、雄徳山大男山にあった神を守山と江間に分祀し、守山八幡神社と豆塚神社(義時館跡の200m北西、江間郷中心部の信号横)に遷した、と伝わっている。北條寺の観音堂から館跡の碑までは直線で300mほど、館跡とは名前だけで、今では何の痕跡も残されていない。観光案内にも地震の痕跡がメインに紹介され、義時の館があった事は殆どサブ扱いで併記されている。
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魚雷に刻まれた地震の痕跡については wiki で詳細の確認を。


     

           左: グラウンドの片隅、魚雷の展示室裏に2基の石碑が建つ。一つは北條義時(江間小四郎)屋敷跡、もう一つは江間村尋常高等小学校跡。
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           中: 館の跡はネットに囲まれた何の変哲もない、一辺100m強のグラウンドに過ぎない。碑が建っていなければ誰も気が付かないだろう。
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           右: センター方向の背後が大男山(207m)、その手前の山裾に北條寺があり、遠くかすかに葛城山(452m)が見える。

この頁は2022年 7月18日に更新しました。