伊東松川の上流 稚児ヶ淵周辺 

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鎌田神社から南伊東の市街地を背にして約500m進むと八代田トンネル(昭和60年(1985)開通)に至る。旧道は松川に沿って右に迂回し300m先の
端でトンネルを抜けてきた新道に合流する。この先の旧道は橋の手前を右へ登り、稚児ヶ渕を経て松川ダム近くで再び新道に合流する旧・修禅寺街道だ。
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約2kmは松川中流域で最も高低差の大きい急流となり、城山の山裾が落ち込む谷もかなり深い。稚児ヶ渕は舗装道路から荒れた細道を20mほど下る。
稚児ヶ渕を過ぎた修善寺街道は中伊豆バイパス(2008年から無料開放)と合流して奥野の山並みを越え、中伊豆の大見に下る。850年の昔に関東と伊豆と
駿河の武者を集めて巻き狩りが行われた一帯であり、頼朝が伊東と北條を往来した旧道(奥野道)のルートにも近い。


     

           左: 鎌田から「八代田の岐れ道」へ。橋を渡ると荻・十足を経て大室山、右へ進むと稚児ヶ淵を経て奥野〜大見へ続く旧・修禅寺街道となる。
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           中: トンネル開通前の旧道は松川の左岸に沿って山を迂回し、八代田橋で分岐していた。昭和初期の写真には現在も営業中の 奥の坊(紹介サイト)・
史跡 角力場跡3.5kmなどの表示が見える。現在のトンネルは勿論まだ開通していない。
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           右: 松川に沿って右へ、「万葉の小径」と呼ぶ鄙びた散歩道が伸びる。平安時代の古道(奥野道・修禅寺街道)が通っていたルートだ。


     

           左: 八代田の岐れ道から上流方向を。湖底に沈んだ昔日の「相撲場跡」から八代田橋までの約3kmを高低差110mで下ってきた松川はこの辺から
平地に近付いてやや緩やかな流れに変わる。
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           中: 稚児ヶ渕に下る細道の前から八代田の岐れ道方向を。このルートは平安時代の奥野道(修禅寺道)と殆ど変わっていないらしい。
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           右: 奥野ダム近くまで迂回して、中伊豆バイパスから稚児ヶ渕方向を。ゴミ埋立地の横に少しだけ松川の流れが見える。かつての奥野道は左手に茂る
樹木の間を抜けてバイパスに合流し、やがてダム湖の底に消えて行く。


     

           左: 伝・稚児ヶ淵(くもが淵)。奥野ダムの2km下流なので水量は多くないが100mの間に高さ3mの堰堤が二ヶ所あり、急傾斜で流れは激しい。
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           中&右: 個人的には伊東館から4kmも離れた場所で殺さなくても...と思うが、この曖昧さが後に千鶴丸生存伝説を生んだのかも知れない。
曽我物語は「激怒した祐親は郎党を呼び、千鶴丸を誘い出し松川の奥の「とどろきの渕」で柴づけにして殺せと命じた。」と伝えている。