富士川合戦の旧跡・平家越え 

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「平家越橋」は田子の浦港に近い富士市の中心部近くで、旧東海道がここで和田川を渡っている(地図)。
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駿河湾の松林に沿って西に向っていた東海道が和田川の東岸に沿って北に曲がり、それまでは右手に眺めていた富士山が左側前方に移動し、安藤廣重も
東海道五十三次の 吉原 左富士(画像)として描いた景勝地だった。治承四年の10月16日に源平両軍が対峙した古戦場と伝わっているが、現在では薄汚れた川が
流れているだけの埃っぽい工場地帯である。富士川合戦とは名ばかりで、実際には古戦場と呼ぶほどの大規模な衝突は起きていなかった、らしい。


     

           左: 橋の東岸に「平家越え」の石碑と浮世絵風に彫られた記念碑が見える。なぜ平家「越え」と称するのか、少々の疑問が残る。
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           中: 周辺は何の変哲もないローカルな町並みが続くのみ。トラックや営業用の車が行き交う埃っぽい工場地帯が広がっている。
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           右: 橋の下流方向。500mほど南で旧東海道は北東に向きを変える。昔日の「左富士」ポイントだが、現在では富士山は見えない。

この頁は2022年 8月 3日に更新しました。