三島山法華寺は曹洞宗、旧下田街道が始まる三嶋大社から400mほど南に位置する(
地図)。
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法華寺の原型は白鳳時代(都が奈良に移る前の大化元年・645年〜和銅三年・710年)に建立された大興寺で、この地域に強い勢力を持ち三嶋大社とも関係が深かった豪族 丈部富賀満の私寺である。
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寺域は東西200m・南北400mの規模で東西に二つの塔を持つ薬師寺式伽藍配置、金堂は現在の臨済宗大徳寺派
松井山祐泉寺(公式サイト)付近で、中門は法華寺の位置にあった。
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昭和七年勝 (1932) には西塔(推定)塔芯の礎石(直系1mを越す)が下田街道沿いで発見されて現在は祐泉寺の庭に置かれ、また本堂の裏からは白鳳時代の瓦も出土している。代替国分尼寺の伽藍配置などは上記・祐泉寺公式サイトの「市ヶ原廃寺と国分尼寺」に詳細が載っている。
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創建当初は現在の法華寺から1.5kmほど西、国分寺跡の数100m南(三島緑町)にあった国分尼寺が平安時代中期(836年)に焼失、18年後に法華寺を代替の国分尼寺とし、その後は国分寺体制の衰退と共に現在の法華寺に変ってしまった。
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頼朝 は三嶋大社参詣の途中でこの寺にも立ち寄り源氏の再興を祈ったと伝わるが、韮山からの参詣ルートには同様の伝承が多く、どこまで史実かは不明。
この寺には頼朝が自筆の写経を納め、その法華経を埋めた経塚の跡には地蔵尊が建てられている。その他、通例通り「頼朝の腰掛け石」だとか既に枯死した「頼朝衣掛けの松」の跡もあるらしいが境内には説明書きの類は一切なく、何が何だか判らない。わざわざ聞くのも面倒なので撮影だけで済ませてしまった。
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この地域は特に頼朝や源氏の史蹟を探るよりも三嶋大社や国府跡や国分寺・国分尼寺の跡や更に古い廃寺の跡を歩き廻る方が遥かに奥深い。
少し時代は離れるし分骨らしいけど
足利高氏(尊氏) の嫡男で足利幕府二代将軍 足利義詮の墓もある。三島大社から右 (東) へ700mで大場川を渡り右側の宝鏡院(
地図)。
その他、ショッピングセンターや
柿田川湧水群の公園(三島市のサイト)などもあるし、結構楽しめる町並みである。