2018年、国道沿いの擁壁が強化され、落石防止のフェンスも完成していた。コンクリートの階段まで新設されたのは見学者にはありがたい配慮で、史跡の雰囲気が少し失われた程度は容認できる。加古坂峠の古い道はこの現場と
加古坂神社 (祭神は光親) を結ぶルートだったと思うが、現在は自衛隊の演習地に含まれているため、通り抜けも確認もできない (
参考地図 ) 。
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光親は同行した僧に剃髪させて西親を名乗り、駿河国加古坂(籠坂峠)で経典を唱えつつ首を落とされた。僧は自分の袈裟を脱いで遺骸を包み菩提を弔った、と伝わる。一方で翌13日の吾妻鏡は「光朝の首は従者が京へ運び、その途中で14日に御殿場の藍澤原で斬られる中納言宗行とすれ違っている。なお、光親の遺髪は立ち会った僧が御殿場に葬ったと記録している。
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平成三年(1991)12月に地区の自治会が墓所の整備を行い、その際に遺髪を納めた筈の甕からは遺骨が発見された。遺体を埋葬したのは加古坂だと思うが、従者が運んだ筈の光親の首が京で葬られた記録は残っていない。御殿場久成寺の遺骨は僧が運んで葬った光親の首と考えるのが自然だろうか。
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小山町大御神区での尊称は天光院殿守法大御神尊、五輪塔は「おおみかみさん」と呼び伝えられている。もちろん戒名ではないけれど、正二位まで昇った公卿は当時の感覚では神に近い存在だったのかも知れない。