利根川流域に残る伝承 静の椿と結びの柳 

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安政二年(1855)編纂の利根川図志などに拠れば...思案橋から引き返した静女は取り敢えず高柳寺に向って前林の里まで戻り、ここで食事を摂って
箸に使った椿の枝を土に挿した。一本は義経の菩提を弔うため、一本は産まれてすぐに鎌倉の海に沈められた我が子の菩提を弔うためである。
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果たして椿は大きく育ち、何代にも渡って見事な花を咲かせるようになった。また傍らに生えている柳の枝を結んで再び奥州へ向う時の目印にした。
これが「静の椿」と「結びの柳」であり、この地が静帰(しずかがえり・しずごり)の小字で呼ばれるようになった由縁、と伝わっている。
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二本の樹は排水機場のある釈水土地改良事務所の敷地に、完工記念の石碑などに並んで残っている。高柳寺に向った静女は伊坂(栗橋町・地図)まで
引き返したが既に生きる望みを失っており、三ヶ月後の9月に短い人生の幕を閉じた。


     

           左: 利根川堤防から前林地区の風景を。すぐ下が結びの柳と静の椿、思案橋は左方向になる。建物の左は釈水排水機場に続く中央水路。
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           中: 柳の横には「釈水豊潤薫柳」と彫った土地改良区の碑が建っている。この地域は大正11年から昭和13年にかけて開拓された農地。
平成3年から11年の歳月を費やして排水・灌漑施設を整備し、大規模農地としての基盤が築かれている。
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           右: 「結びの柳」と「静の椿」の前には小さな石碑が建っている。裏手を流れる小川の土手には静が歩いているような雰囲気が...。


     

           左: 柳と椿近くの土手から下流方の遠くに4号国道バイパスの新利根川橋が見える。橋手前右岸の元栗橋には江戸時代初期まで関所があり、
利根川東遷後には渡船場が設けられた。静はこの関所を避け、北東に迂回して高柳寺を目指したと伝わっている。
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           中: すぐ前には排水機場からの流れ込みがワンド状になっており、バスを狙う釣り人の姿が見える。足場も良く、野鯉釣りにも向きそうだ。 .
           右: 同じく堤防の上から利根川の上流方向を。約5km先が静御前の慰霊墓がある栗橋市街、左側が埼玉県で右側が茨城県となる。

この頁は2022年 8月 9日に更新しました。