昔日の東光廃寺の跡と伝わる 伝・宇佐美祐茂の墓 

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津波で散逸した宇佐美一族の墓石を回収して祀ったとされるが、一説には東光寺の創建は室町時代の長享三年 (1489) 、伊豆守護職に任じた宇佐美祐孝が
戦死した子の菩提を弔って建立した、とも。足利幕府八代将軍義政が三代義満の建てた舎利殿(金閣寺)に倣って銀閣寺を建てた前後である。
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祐孝は宇佐美初代の祐茂から8代後の傍流 (祐茂−祐政−祐泰−祐明−祐清−祐辻−祐茂−祐時→ 祐孝) に当る。この中にある祐泰・祐明・祐清・祐茂・祐時
の名は伊東氏系図に重複する名前で、宇佐美氏を含む伊東一族の通字である「祐」も長く続くと種切れになる、らしい。要するに朝善寺と同様に宇佐美氏との
接点が判らず、墓石だけが宇佐美一族との関係を匂わせる、という事。いずれ管理を担っている圓應寺で尋ねてみようと思う(地図)。


     

           左: 外見は古い公民館の佇まいでむしろ廃寺に近いが、内部は寺の本堂のように改装されている。ただし寺としての利用頻度は少なそうだ。
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           中: もちろん無住で建物もかなり老朽化している。ただし全体に管理は行き届いており、左手には由来の定かでない数基の石塔が残る。
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           右: 鎌倉中期以降の様式なのは確かで、地元の伝承では宇佐美一族の墓石とされている。それ以上の詳細は現在のところ不明。


     

           上: 残されている墓石は5柱、他に石地蔵や僧形の坐像などが並ぶ。これも1450年前後の津波で散逸後に回収された墓石の一部だろうか。

この頁は2022年 7月15日に更新しました。