約7km南下してから東に流れを変え、新田荘南部を横切ってから利根川に流れ込む石田川の源流。重殿水源(一級河川大川の源流)と並び新田荘の発展に不可欠だった
水源として国史跡にも指定されている。新田荘は大間々扇状地の南端に位置し、標高60mを通る地下水脈が荘園の開発に利用されていた。周辺には縄文時代の集落跡も
発見され、今でも地下水の自噴現象が見られている。周囲は公園として整備されており、季節には蛍も観察されているらしい。
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池の横に建つ新田町の説明表示は次の通り。 前述した
新田荘の水脈と水源(別窓)も併せて参考に。
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「国指定史跡 新田荘遺跡 矢太神(やだいじん)水源」(町指定天然記念物 矢太神湧水地) 平成12年11月
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新田町は大間々扇状地の扇端部に立地していることから、標高60mの地点を中心にして多くの湧水地があります。矢太神水源はこれらの中でも最も豊富な水量を誇っており、町指定天然記念物にも指定されています。
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北側に湧水点があり、ここでは湧水が砂を舞い上げる自噴現象を観察することができます。この地点には「ニホンカワモズク」という貴重な紅藻類が生息しています。これはかつてこの地が海だった時代に陸に閉じ込められたものが環境に適応して現在の姿になったと考えられています。
南側には東西15m×南北80mの沼があります。この周囲には縄文時代の遺跡も多く見られ、数千年前から水が湧いていたと推測されます。現在水源の東側は矢太神ホタルの里公園として整備されています。
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仁安三年(1168)の「新田義重置文」(長楽寺文書)は、「空閑の郷十九郷」を頼王御前(世良田義季)の母に譲ることが書かれた古文書で、新田荘が開発された様子を知ることができます。ここには「上江田・下江田・田中・小角・出塚・粕川・多古宇」など現在でも見られる郷名が書いてあります。これらの郷は石田川の周辺に立地することから、新田荘の開発に石田川の水が利用されたことが判ります。矢太神水源は石田川の源流であることから、新田荘の開発に湧水地の水が利用されたことを証明する貴重な史料です。
左: 南側から水源の池を撮影。湧水点は池の北側にあり、現在でも砂を巻き上げる自噴現象を見ることができる。公園を併設しているため
管理は行き届いているが、ゴミを投棄する不心得者も多少見られるのは残念だ。
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中: 矢太神沼から流れた水は南に流れる途中の数ヶ所で同じように湧水を源流とする小川を吸収し、一級河川石田川となって13km下流の
利根川に流れ込む。鎌倉時代中期から新田一族の主力となっていた世良田や岩松の地を潤していたのも石田川である。
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右: 池の西側は農地、東側は雑木林風に植栽を整備した園地が広がっている。夏にはホタルの乱舞も楽しめるらしい。
左&中: 湧水の一部を公園に引き込んで「曲水」っぽい風雅な流れを造っている。ホタル見物にはベストだが、蚊には悩まされるかも知れない。
太田市の新田周辺にはこのタイプの公園が数多く点在している。大型店も多いので定住には向いているのだろう。
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右: 2008年の撮影なので我が家の愛犬(牡犬、2013年4月現在13歳)もまだ元気一杯だった。最近は白内障と膀胱結石の手術が続き、更に
上顎の癌が進行して口を完全に閉じられない状態にまで悪化している。40kg近い図体なのに病弱だ。
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出血が酷いため寝室に入れず、私のベッドを書斎に持ち込んで一緒に寝ている。食事は肉汁か卵入りの柔らかくしたドライフード、握り寿司の
大きさで口に入れ食べさせている。もう一匹の雌犬はカメラの枠から脱走して遊びまわっている。彼女(牡犬より二歳上の姉さん女房)は一昨年
死んでしまった。残った牡犬もいつまで生きる事やら(2013年7月5日、死没)親が死ぬよりよっぽど辛い、愚痴の一つも書きたくなるんだよね。
この頁は2019年 11月 8日に更新しました。