伊豆長岡 古奈の西琳寺 

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創建当初の西琳寺は 空海(弘法大師)が刻んだ弥勒菩薩像にちなんで弥勒寺(現在の 弥勒堂(別窓)と名付けられた。
その2年後の弘仁三年 (812) 、大師は弥勒寺を弟子の海心に与えて更なる修行のため西に15km離れた 修禅寺奥の院(別窓)に移った、と伝わる。
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時代が下って...伊豆の住人北条斉寄には子がなかったため弥勒菩薩に祈願したところ、妻女がある夜に弥勒寺の裏山から輝く玉が飛来して口に入った夢を
見て妊娠し男児を産んだ。斉寄は大いに喜び、西の山から玉が飛んできた経緯により西琳山の山号を贈ったという。
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その後、源頼政 の子孫を名乗る稲垣頼忠が出家し、文明十年 (1478) に 蓮如上人 (wiki) に帰依して真言宗から真宗に改め、西琳山弥勒寺から現在の弥勒山西琳寺
となった。特に菖蒲の前と縁が深い訳ではなく、近くに庵があっただけの話らしい。弘法大師とは宗派も違うし、ね。
伊豆長岡の観光協会では源氏山七福神の一つとして昔の散策ルートに載せていた。真宗と七福神は無関係、観光協会との兼ね合いだろう。

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  ※北条斉寄: 素性も年代も不明。北条(北條)姓だけど、時政系か後北条系かも判らない。近隣の実力者だとは思うが...
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  ※稲垣頼忠: 素性は不明だが稲垣氏の発祥は三河で、清和源氏を名乗った小田重氏が初代と伝わる。その末裔だろうか。
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  ※源氏山七福神: 一応七福神の明細を。 最明寺(時頼の墓あり・布袋尊)、源氏山の広場(毘沙門天)、同じく展望広場(大黒天)、山頂広場(寿老人)、
弥勒堂の下(弁財天)、長温寺(福禄寿)、湯谷神社(恵比寿)。西琳寺を経由するルートだが、この企画は現在は自然消滅したらしい。


     

           左: 菖蒲田 側から見た西琳寺の山門。弘仁元年(810)に弘法大師が草庵を結び、大師に帰依した里人が堂を建てたのが始まりとされる。
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           中: 温泉街が近いが良く手入れされた境内は季節の花が楽しめる静謐な雰囲気。本堂前を左へ折れると弥勒堂を経て源氏山に至る。
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           右: 菖蒲の前の供養塔。もちろん平安末期ではなく近年になって造られたものだが、形状は明らかに平等院にある頼政墓を模している。

この頁は2022年 7月10日に更新しました。