伊豆長岡 菖蒲田の風景 

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増訂豆州誌稿には、 三位頼政が宇治で戦死。菖蒲は生れ故郷の古奈菖蒲田に帰住し、後に内浦の河内に移り剃髪して西妙と称した(出典は新続古事談・伊豆名述誌・伊豆日記・禅長寺記、など)。河内の 禅長寺 は臨済宗円覚寺派、奈古谷の 国清寺(共に別窓)の末寺で本尊は弥勒。頼政の子孫多田氏が河内に住んだ邸を修築して寺にした。当初は真言宗で後に曹洞宗、雪厳(寛永十八年(1806)入寂)が臨済宗に改めた とある。
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豆州志稿は寛政十二年(1800)編纂の地誌。安久村(三島市)の学者秋山富南が著したもの。著作の経緯などは 蛭ヶ小島(別窓)の項を参照。
源氏山東の古奈は1300年以上前に開いたと伝わる温泉で、吾妻鏡にも記載がある。源氏山西の長岡温泉は明治40年(1907)の開湯で、比較的新しい。
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【吾妻鏡 嘉禎二年(1236) 4月1日】
正午近く、鶴岡八幡宮に羽蟻が大量発生する騒ぎがあった。また、深夜に地震があった。
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【吾妻鏡 同年 4月8日】
四代将軍 藤原頼経 は伊豆国小名(古奈)温泉に出掛けるため来る17日を出発と定めた。また去る1日に八幡宮の羽蟻の怪異について占いが行われ、宿曜師珍譽法印が遠出を避けるべきと言上。検討の結果、小名行きは中止となった。
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【吾妻鏡 仁治元年(1240) 9月8日】
戌刻(20時前後)に施薬院使(医療点薬を司る部署)の正四位上丹波朝臣良基が死没(55歳)。伊豆国北條の小那温泉に滞在していた。

  

        左:伊豆長岡温泉は源氏山西側の長岡温泉と東側の古奈温泉の総称。菖蒲田は源氏山の北東・古奈温泉の中心街に近い。
        右:同じ場所から撮影した昭和初期の古奈温泉菖蒲田付近。看板の井川館は現在も盛業中。

この頁は2019年 6月20日に更新しました。