| 古代~治承三年 (1179) 末までの事件 概略 |
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271年 |
伊豆山の浜に光る鏡が出現し火を吹く如く西の峰に飛んだ。これを日が峰、後に日金山と呼ぶ。
走湯山縁起には「相模国唐浜(大磯)に現れた」とも書かれている。 | |||
273年 |
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473年 |
伊豆走湯山 (伊豆山神社) 縁起に拠れば、この年に富士山の大噴火あり。 | |||
550年 |
伊豆地方一帯に疫病が大流行し死者多数を出す。 | |||
575年 |
伊豆走湯山縁起によれば、伊豆地方に大地震が発生し大きな被害を出す。 | |||
594年 |
日金山が推古天皇から走湯権現の神号を受ける。 (権現=仏が神の姿を借りて現れる事) | |||
594年 |
重祚して 37代 斉明 |
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646年 |
伊豆国が駿河に合併され 国、郡、里に再編される。 | |||
680年 |
駿河国から二郡を分離し、再び伊豆国とされる。この年、伊豆に大地震が発生。 | |||
699年 |
役小角 を伊豆大島へ遠流。走湯山縁起に拠れば海上を飛び富士箱根で修行した、と。 | |||
701年 |
異常気象が続いたため役小角を赦免し都への帰還を許す。 | |||
702年 |
駿河伊豆地方が大飢饉により惨状を呈す、と。 | |||
710年 |
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734年 |
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736年 |
鎌倉に 海光山長谷寺 建立。開山は徳道上人、本尊は十一面観音像、現在の坂東四番札所。 | |||
739年 |
続日本書紀によれば、この年伊豆地方に大飢饉が発生した。 | |||
741年 |
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778年 |
伊豆地方に飢饉と疫病が流行、京より薬品と食料を送った。 | |||
784年 |
平城京から 長岡京へ遷都。 | |||
788年 |
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794年 |
長岡京から 平安京に遷都。征夷大将軍大伴弟麻呂が蝦夷に戦勝。富士山が噴火。 | |||
797年 |
征夷大将軍 坂上田村麻呂が蝦夷を鎮圧、胆沢城を築き鎮守府とする。続日本紀が完成。 | |||
798年 |
伊豆地方に飢饉があり疫病が流行、京より薬品と食料を送る。 | |||
799年 |
この頃 空海が関東と伊豆を巡り修行したと伝わる。ただし、裏付け史料なし。 | |||
800年 |
富士山が噴火 (延暦の大噴火) 延暦21年まで続いた、と。 | |||
802年 |
富士山が噴火し 足柄道を塞いだため新たに官道 (筥根道) を拓く。翌年に官道は足柄道に戻る。
ただし富士東麓に残る延暦噴火の痕跡は軽微で、足柄道を塞ぐ程ではなかったとする説が有力。 | |||
803年 |
陸奥国に 志波城 (Wiki) が築かれた。 | |||
804年 |
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816年 |
帰国した空海が 高野山金剛峯寺 (公式サイト) を開いた。 | |||
818年 |
相模湾に大地震が発生、伊豆と相模の沿岸地域が津波の被害を受けた。 | |||
818年 |
衰退を続ける新羅からの亡命者らが東国各地に移住。 | |||
825年 |
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836年 |
走湯山縁起に拠れば、甲斐の僧賢安が神霊を日金山から現在の伊豆山神社の地に遷した。 | |||
838年 |
神津島が大噴火 この後三年間は伊豆に地震が続いた。 | |||
841年 |
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853年 |
桓武平氏の祖である 葛原親王が薨去。 | |||
864年 |
富士山が噴火 (貞観の大噴火) 。 | |||
888年 |
京に 仁和寺 (Wiki) 建立。信濃国で千曲川が大洪水。 | |||
888年 |
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894年 |
菅原道真の提案により、遣唐使を廃止。 | |||
902年 |
荘園整理令や班田のシステムが徹底せず、律令制度の崩壊が始まった年とされている。 | |||
903年 |
菅原道真 死没。 | |||
921年 |
後の陰陽師として名高い安倍晴明が誕生。 | |||
923年 |
怨霊を恐れ、故菅原道真を右大臣に戻し正二位を遺贈。 | |||
927年 |
藤原忠平らが 延喜式 (Wiki) を完成させる。 | |||
935年 |
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936年 |
従七位下伊予掾の 藤原純友が瀬戸内海で海賊行為。天慶四年 (941) に捕われて獄死。 | |||
937年 |
朱雀天皇元服に伴う大赦で 平将門を赦免。紛争は天慶三年 (940) の将門敗死まで続く。 | |||
939年 |
将門が常陸国府と 下野国府を攻略、上野の国府を占領し新皇を称する。平純友の乱が勃発。 | |||
940年 |
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947年 |
藤原忠平が関白太政大臣、子の実頼と師輔が左大臣と右大臣、太政官の高位を独占した。 | |||
957年 |
天徳に改元。この年の夏に全国的な大飢饉が起きた。 | |||
967年 |
藤原実頼が関白に就任。 | |||
994年 |
疱瘡の流行に対応して、庸 (年に約20日の労役、又は絹の物納) と調 (労役の代替えとして絹、綿、麻など特産品の物納) が免除された。 | |||
995年 |
疱瘡がさらに流行、京の町中に病人と死人が充満。 | |||
1006年 |
おおかみ座に超新星 (SN1006) が現れた。明月記にも書かれており、明るさは史上最高の9等級。この頃は王朝文学の最盛期で 紫式部、和泉式部、赤染衛門らが活躍している。 | |||
1016年 |
藤原道長が摂政に着任、政権中枢を支配する。 | |||
1030年 |
平忠常の乱が勃発。 | |||
1051年 |
陸奥国俘囚長の安倍一族が納税を怠り国司の藤原登任が出兵。鬼切部 (宮城県鳴子町鬼首) の合戦で安倍氏が圧勝、登任は都へ逃げ帰った。これが 前九年の役の伏線とされる。 | |||
1052年 |
源頼義が後任の陸奥守として奥州に着任。大赦があり安倍氏は許されて頼義と融和した。 | |||
1053年 |
藤原頼通が宇治平等院の阿弥陀堂 (鳳凰堂) を建立。源頼義が鎮守府将軍を兼任。 | |||
1056年 |
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1057年 |
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1062年 |
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1063年 |
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1083年 |
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1085年 |
狩野 (工藤) 祐隆が中伊豆から東海岸の伊東へ移り 宇佐美、久寝 (久須見) 、河津を開発して領有した。 | |||
1086年 |
後三年の役勃発。清衡邸を襲った家衡は沼柵で義家軍の攻撃に耐え翌春に金澤柵に入る。 | |||
1087年 |
(4月7日改元) |
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1118年 |
伊勢平氏棟梁平忠盛の嫡男 清盛誕生。母は白河法皇晩年の寵姫 祇園女御の妹説が主流。 | |||
1138年 |
北條時政誕生。父は時方 (時家とも) 、母は伊豆掾伴為房娘。詳細な系図は確認できない。 | |||
1141年 |
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1145年 |
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1147年 |
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1145年 |
1月、平忠盛 (清盛の父) 没。朝廷に勢力を拡大し日宋貿易を活性化して平家の財政基盤を築いた傑物だった。 | |||
1154年 |
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1155年 |
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1156年 |
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1157年 |
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1159年 |
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1160年 |
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1160年 |
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1160年 |
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1160年 |
頼朝は減刑され 伊豆蛭島に流罪 (蛭島の名は平家物語に初出) 。 | |||
1160年 |
伊東祐継が没し、祐隆嫡孫の 祐親が所領の河津を出て嫡流を理由に伊東荘を独占した。 | |||
1163年 |
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1167年 |
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1167年 |
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1170年 |
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1170年 |
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1173年 |
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1173年 |
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1173年 |
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1173年 |
浄土真宗の開祖 親鸞が京都で誕生。 | |||
1175年 |
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1176年 |
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1176年 |
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1177年 |
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1179年 |