能登旅行の途中に立ち寄った、伝・安宅の関跡 

 
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富樫(正しくは冨樫)氏は平安時代中期から加賀国の南部に勢力を保ち、現在の野々市市 ( 地図) に本拠を置いた守護大名と伝わる。
一時期は 木曽義仲 に与して 頼朝 と対立したが、義仲滅亡後は加賀国守護として所領を安堵された、らしい。
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一族の系図に残る (何代目か忘れた)冨樫泰家が能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」に描かれた関守・冨樫左衛門尉のモデルらしいが、義経弁慶 の一行が
関所を通った物語は義経記をベースにして室町時代に成立したフィクションに過ぎず、そもそも関所の存在さえ疑問視されている。
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石川県の史跡に指定されている安宅の関跡 (地図) は野々市(ののいち)市の南西20kmの日本海沿いで古代の北陸道ルートだが、周囲は巾10kmほどの
平地が続き、関所を置くのに適した立地ではない。むしろ約20km南西の篠原古戦場 ( 地図) の方が関所向きだし、立ち寄るメリットも大きい。
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  ※義経記では: 義経主従が奥州へ逃げる途中の如意の渡し (富山県高岡市か) で九郎判官と疑われ、弁慶が手にした扇で 義経 を打ち据える話がある。
冨樫の名も出てくるが、これは弁慶が富豪の冨樫介に寄進を強要する話で、関所とは無関係。
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現在は海沿いの広い丘陵に住吉神社(御利益は難関を突破)や海辺のレストランや資料館「勧進帳ものがたり館(入館料300円)」などが整備されている。
砂浜沿いに広い無料駐車場あり。史跡として訪問する価値はないけれど、長距離ドライブで休憩するのなら絶好のポイントだ。


     

           上: 絵図の右側・正面の駐車場ではなく海沿いへ迂回して灯台の先に停める方が面白い。砂浜が広がっているし、資料館や銅像も近い。


     

           左: 関所跡の石碑前で記念撮影。与謝野晶子の歌碑も近くに建っている。  「松たてる 安宅の砂丘 其の中に 清きは文治 三年の関
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           中: 公園の海側にもっともらしい銅像が建っている。右の富樫泰家は二代目市川左団次で中央の武蔵坊弁慶は七代目松本幸四郎がモデル、
石川県出身の彫刻家都賀田勇馬の作である。左の義経は子息の伯馬による追加銅像で特にモデルはないらしい。
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           右: 七代目松本幸四郎の演じる十八番、勧進帳の弁慶をモデルにした銅像のアップ。さすがの風格だが、私の描く弁慶のイメージとは少し違う。

この頁は2022年 7月 9日に更新しました。