土肥 鍛冶屋の古社 五郎神社 

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祭神は鎌倉権五郎景政、覆屋の中の本殿は江戸時代初期の建造と伝わるが、詳細は良く判らない。鎌倉権五郎景政 は16歳で後三年の役(1083〜1087)に参戦した武将で、尊卑分脈では鎌倉党の 大庭景親梶原景時の曽祖父だとしている(当サイトの「坂東平氏系図」では景時は景政の叔父・景通の曾孫とした)。
特に源氏と神社の関係はないし、必死で敗走する 頼朝が立ち寄った筈もないが、まぁ土肥椙山へ逃げ込んだ通り道という事で。
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俗説に拠れば、鎌倉権五郎景政の一族には製鉄を生業とする集団があり、新崎川の砂鉄を利用して武具の製作に携わったと伝えている。それが「鍛冶屋」の地名として残っている、と。また鎌倉時代末期以降に活躍した相模国の刀工 五郎正宗 (wiki) が鍛冶屋を根拠地にしたと考える説もあり、これが五郎神社の名前となったとも言われるが真偽は判らない。
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創建の由来などは不明だが、御霊 (ごりょう) 神社 (wiki) が全国各地にある事、有名な鎌倉御霊神社の祭神と同じく鎌倉権五郎景政が祭神である事を考えると、御霊(ごりょう)→ごろう→五郎と転訛した過程で景政との関係を付け加えたとも考える。4月中旬の五郎神社例大祭に奉納される 鹿島踊り (wiki) は製鉄の炎に空気を送り込むたたら作業 (wiki) と神楽の融合が原型とも考えられおり、製鉄の地と景政伝説が結びついた可能性もある。
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境内裏手に広がる森には楠(クス)・槇(マキ)・欅(ケヤキ)などの古木が文字通り林立し、これは一見の価値がある。かつては 箱根権現五所神社(共に別窓)と共に「足柄下郡三神森」と称えられたが、現在では周辺の宅地開発や管理不足のため荒れているのが残念だ。


     

           左: 森下公園バス停前の宮ノ入橋(新崎川)を渡るとすぐ社叢。直進して坂を登ると湯河原CC南を経て白銀林道を横切り南郷山(611m)に
至るルート、神社手前を左へ曲がると新崎川左岸沿いを幕山公園に至る。両方を回遊すると4時間ほどのハイキングコースだ。
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           中&右: 雰囲気は五所神社に似ているが、こちらは如何にも村の鎮守の雰囲気が残る。敷地は広く、特に社殿裏手の森は見応えがある。


     

           上: 鳥居右手の由緒書きが風化しているため創建の由来は不明。覆屋内部の本殿創建は江戸初期に遡るらしいが、その根拠も曖昧である。


     

           左&中: 管理不足の状態が長かったため、裏山は全体に荒れている。樹齢数百年ほどの巨樹が多く見られるのだが「足柄下郡三神森」の
一つとされた社叢は既に面影を残すだけになってしまった。
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           右: 境内右手の草地から神社の森を撮影。この斜面もかつては社地だったらしいが、いずれは宅地化されてしまうのだろう。

この頁は2022年 8月 1日に更新しました。