足利義氏の菩提寺 法楽寺
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正義山法楽寺の入口。周辺道路がやや狭くて一方通行もあるが門前の駐車スペースは余裕があり、秋には境内背後の織姫山に続く鏡山の紅葉が美しい。
駐車場に入らず右へ迂回して坂を登り道なりに進むと1kmほどで織姫神社に至る。更に正面の参道を下ると
時子
を祀った法玄寺に至る
(
地図
)
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左:
現在の本堂は昭和五十七年 (1982) に銀閣寺を模して建立されたもので、もちろん創建当時の元々の創建は建長元年 (1249) 、隠居して
嫡子泰氏に家督を譲った
義氏
は仁治三年 (1241) に53歳で出家し、門前に浄土庭園を造って隠棲した。
ちょうど父の
義兼
が足利の北西部に
法界寺
(別窓、通名を樺崎寺) を建てて隠棲したのと同じような晩年を過ごしている。
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中:
義氏の墓所は本堂の左側奥にある。手前には縁者のものだろうか、十基ほどの古式五輪塔が無造作に置かれている。
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右:
義氏の五輪塔は最近になって造られたもので、本来の墓石は左側の宝篋印塔の笠を組み合わせた物だったらしい。既に旧い姿は失われた。
背後にある石を貼った塚の意味は確認していないが、義氏が没した建長六年 (1255) 当時の習慣ではない、と思う。
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少し気になる部分として、
二俣川合戦
(別窓) で没した
畠山重忠
の跡を追って自殺した妻の「菊の前」を葬った駕籠塚の形状がこの石貼りの墓所に
酷似している点がある。画像などの確認は上記「二俣川合戦」の末尾を参照されたし。
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この頁は2022年 07月 05日に更新しました。