法林寺の北側は加賀美遠光の嫡男秋山光朝(忠頼の従兄弟)の所領であり、しかも忠頼の本来の居館である一條館(現在の甲府城址)からは20km近く離れている。
西側は南アルプスの急峻な山岳地帯なのでここが出城とは考えにくい。
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一條小山の館(現在の甲府城址)は落飾した忠頼の室が屋敷を尼寺に改めて夫の菩提を弔った、と伝わる。130年後の正和元年(1312)に甲斐守護職となった武田信時
(信光→ 信政→ 信時)が真教和尚に帰依して
時宗(wiki・仏教の宗派)一蓮寺に改めて弟の宗信を開基に、同じく弟の宗時を出家させて開山和尚とし時宗道場一蓮寺とした。
武田氏の滅亡後は徳川による甲府城(舞鶴城)造営のため一蓮寺は一條小山から1.5kmほど南、現在の遊亀公園北側に移転し、そのまま現存している。
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明治七年(1874)に敷地の一部を県に移管し遊亀公園と命名。鶴が舞う北の舞鶴城公園 (甲府城址) に対して亀が遊ぶ南の遊亀公園とは実にセンスの良い命名だけど、
鎌倉の鶴岡と亀谷のパクリかも知れない。更に大正六年 (1917) に甲府市に移管、2年後には付属動物園が開かれた。公園を含む敷地全体が一蓮寺の寺域だった。
妙楽廃寺跡の地図、
忠頼館跡(法林寺)の地図、
秋山光朝館跡(熊野神社と光昌寺)の地図、
一蓮寺の地図 などを参考に。