義仲の初出、善光寺裏合戦(市原の合戦) 

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           左: 木曽義仲 が初めて歴史に登場した善光寺裏合戦(市原の合戦)、犀川の丹波嶋の渡し跡。撮影場所は こちら、背景は国道117号の丹波島橋。
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           中: 北国街道丹波嶋宿 開設四百年記念に建立された「丹波嶋の渡し」碑。
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まっすぐに かすみたもうや 善光寺 小林一茶   大江山 ならねと 酒の鬼殺し 売る家もある 丹波島かな  十返舎一九
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            ※鬼殺し: 各地で醸している日本酒で、本家は岐阜か。長野の鬼殺しは知らないが、東海道中膝栗毛で知られる戯作者・十返舎一九が生きた時代、
明和二年(1765)〜天保2年(1831)に繁盛していた酒蔵かも。鬼を殺すほど旨い、鬼を殺すほど強い、殺すほど不味いなど諸説あり。
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           右: 若里二丁目の市村神社(江戸中期の建立)。境内の南側付近が昔の市村の渡しだったらしい。すぐ裏手の佛導寺には 熊谷直實 の娘を葬った
と伝わる姫塚(善光寺七塚の一つ)がある。七塚には曽我兄弟の兄 十郎祐成 の愛人虎女に関わる塚もあるから、詳しく調べるのも面白い。
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一ノ谷合戦で敦盛を討った後に法然に帰依して出家した直實は善光寺で修行に励んでいた。熊谷郷に残っていた娘の玉鶴姫は母の死後に侍女と二人で
父の許に向ったが病になり、更に犀川の増水で足止めされた。二人が善光寺に向かって祈っていると、一人の老人 (善光寺如来の化身) が小舟で対岸に
渡してくれた。父に会えないまま娘の病状は更に悪化したある日、南にたなびく雲が直實を娘の病床に導いた。身の上話を聞いた直實は自分の娘だと
知るが、修行中で親子の名乗りができないまま娘は死んでしまう。直實はその場所に姫塚を建てた
、というお話。


この頁は2022年 8月 6日に更新しました。