新田義貞旗挙げの地 生品神社 

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生品神社の祭神は大己貴命(大国主命)、平将門 の弟である御厨三郎将頼など。八幡太郎義家 が奥州遠征の途中に立ち寄ってl戦勝を祈願したとも伝わっている。
平安時代後期編纂の「上野国十四郡諸社神名帳」には「新田郡従三位生階明神」の記載があり、この時代には既に存在したのは間違いない。
旗挙げに際して 新田義貞 が鎌倉の方向に矢を放ったという故事に倣って、5月8日に開催される「鏑矢祭」が例大祭である。


     

              左: 農地と住宅が混在する閑静な地域。1km南に大型商業集積 ジョイフルホンダ新田店(公式サイト)があり、史蹟探訪と併せて買物も楽しめる。
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              中: 鳥居外側の駐車場は樹木に囲まれており夏の日差しを避けられる。満車の場合は社殿の裏手にも専用の駐車場が設けられている。
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              右: 例大祭は義貞が挙兵した5月8日。わずか150騎の兵力は次第に膨れ上がり、15日後には150年続いた鎌倉幕府を壊滅させた。


     

              左: 拝殿は意外に小さくて質素だが境内はそれなりに広くて緑が多い。今では太平記ブームも遠くなり、休日でも参詣する観光客はごくまばら。
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              中: 出陣する義貞が旗を立て戦勝祈願したと伝わる椚(クヌギ)。樹高33mの大木だったが明治三十七年(1904)の台風で倒れ、根元部分を残して
樹脂で固め修復し保存している。
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              右: 新田源氏の子孫を僭称した家康が寄進した記念の石碑。源氏の末裔として征夷大将軍の称号を得るため新田の支流・得川氏の系図を入手して
改竄したのだから、考えてみれば馬鹿な話だ。功成り名を遂げると次には自分を飾る虚構が欲しくなる。
境内には稲村ヶ崎で黄金作りの太刀を海神に捧げる義貞像・旗挙げ塚・牀几塚・福田首相と中曽根首相(共に群馬県の出身)が寄進した石碑など、
ほとんど意味もなく無駄金を使った構造物が種々雑多に並ぶ。

この頁は2022年 9月 6日に更新しました。