現在では工場(三国製作所)の脇で石垣とコンクリートに囲まれた小さな溜池に見えるが、透明な水には鯉が泳ぐ一級河川・大川の源流である。湧水としての歴史は古く、
「関東裁許状」の元亨二年(1322)には新田の支族である大館宗氏と岩松政経が「一井郷沼水」から流れ出る用水を巡って争った記録が残されている。
岩松領の田嶋郷(重殿の南4kmに田島の地名あり)ではこの水を農耕に利用していたが大館宗氏が堀を塞いだため訴訟となり、元通りに復旧するよう
北條高時 の決裁が
下された。現在でも一井郷沼水の水路(
地図)を田島町(旧・田嶋郷)まで辿る事ができる。
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前回訪問した時(2005年)には水量がかなり減っており湧水量の減少が心配されたが、現在では旧に復したようだ。右手の護岸には水神の石祠が三基祀られており、
暮しに欠かせない貴重な水源だったことを物語っている。
「国指定史跡 新田荘遺跡 重殿水源 説明看板」 平成14年3月.
重殿水源は現状では四方を石垣とコンクリートで護岸された東西10m・南北23mの小さな池になっています。北西の角には三基の石祠があり、かつての面影を
うかがうことができます。池の東側には一級河川大川の源流であることを示す標柱が立てられています。
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元亨二年(1322)の「関東裁許状」(正木文書)は新田一族の大館宗氏と岩松政経が「一井里沼水」から流れ出た「用水堀」を巡って争いを起したことに対し、
鎌倉幕府が判決を下した史料です。岩松政経の所領「田嶋郷」では昔から一井(現在の市野井)郷の沼水を耕作に利用していましたが、一井郷の領主 大館宗氏が
用水堀をふさいだため政経は鎌倉幕府にこれを訴え、幕府は用水堀を元通りにするよう判決を下したことが判ります。この史料にある「一井郷郷沼水」が重殿水源
であると考えられます。
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新田荘は大間々扇状地の扇端部を中心として豊富な湧水地に恵まれており、荘園経営のためにこの水が利用されたと考えられています。
かつては市野井・金井・赤堀・木崎などの地域がこの水を農業用水として利用していました。重殿水源は歴史を証明する貴重な史跡です。