善光寺本尊 阿弥陀三尊像の由来 甲斐善光寺と信濃飯田の元善光寺 

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【信濃善光寺で七年に一度開帳される本尊とは...】
 
本尊の阿弥陀三尊像は絶対秘仏で永久に開帳されない。秘仏として七年に一度開帳しているのは鎌倉時代に本尊に似せて鋳造した前立仏(レプリカ)で、現在も
中部地方から東北地方の一帯に相当数が祀られている。下の中央に載せたリンデン民族学博物館の阿弥陀三尊像はその中から流失した一体だろう。
 
信濃善光寺の縁起に拠れば、本尊の阿弥陀三尊像は第二十八代宣化天皇三年(538)に百済の 聖明王 (wiki) から贈られたもの。現在日本最古とされている
奈良飛鳥寺の重要文化財 釈迦如来像(飛鳥大仏・605年造像)や、法隆寺の国宝 釈迦三尊像(623年鋳造)よりも遥かに古い。
甲斐善光寺の本尊も信濃善光寺の前立仏と同じく、渡来した阿弥陀三尊像をコピーして鎌倉時代(正確な年代は不明)に鋳造したレプリカである。
 
信濃善光寺の床下には お戒壇巡り なるスポットがあり、真っ暗闇の中を手探りで歩く死者の体験を味わうことができる。善光寺参りの時に私の母(故人)が入って
みたいと言うもので、念のため妻を付き添いにして送り出した。ところが妻の方が途中で歩けなくなって、80歳過ぎの婆さんに手を引かれて出てきたっけ。
もう30年も前の、懐かしい思い出。


        左: 信濃善光寺の阿弥陀三尊像(前立仏)。後世に付け足した金色の台座と光背を除くと、中央の画像(リンデン民族学博物館)と酷似している。
 
        中: ドイツ・リンデン民族学博物館の阿弥陀三尊像(阿弥陀如来は約50cm)。1984年に日本美術収集家のハリー・パッカード(米国人)から購入して
おり、それ以前の経緯は判っていない。信濃善光寺の前立仏とは螺髪(頭髪)など細部に違いはあるが、同じ仏像(つまり本尊の絶対秘仏)をベースに
して複製した可能性が高い。善光寺絶対秘仏の概要は舟型の光背を持つ50cmの阿弥陀仏と30数cmの菩薩二体、と推定できそうだ。
 
        右: 甲斐善光寺(公式サイト)本尊の阿弥陀三尊像。中央の阿弥陀如来は147.2cm・左の観音菩薩は95.5cm・右の勢至菩薩は95.1cm。
銅製で「建久六年(1195)蓮阿」などの刻銘がある。蓮阿は 西行法師 に師事した鎌倉前期の歌人だが、像との関わりは判らない。
善光寺様式としては例外的に大きく、礼拝のために等身大の像を鋳造したらしい。同寺の縁起には「熱田の定尊が勧進した」とある
 
        ※熱田の定尊:「建久六年(1195)に善光寺如来の啓示を受けた尾張の僧・定尊が信濃善光寺に籠り多くの仏像を鋳造開眼した」との伝承があり、
合計200体以上の三尊像と共に全国の善光寺 (wiki) などに伝わっている。仏像の頒布を通じて善光寺信仰が広まった、という事か。


     

        左: 身延線善光寺駅近くから 甲斐善光寺 (公式サイト) の山門 (地図)へ、真っ直ぐに道路が延びる。周囲には参詣者用の無料駐車場が数ヶ所点在しているから、
信濃善光寺と違って駐車料金などに煩わされる不自由がないのは嬉しい。
 
        中: 巨大な山門は宝暦四年(1754)の火災で金堂と共に類焼し、寛政八年(1796)に再建されたもの。現在は国の重要文化財に指定されている。
 
        右: 山門の柱を通して金堂を見る。信濃善光寺と違って土産物店の喧騒とは無縁だし、休日でも混雑なしに散策できる。時間が許せばヤマトタケル伝説の残る
酒折宮武田神社 (共に公式サイト) に足を延ばすのも味わい深い。


     

        左: 金堂へ続く参道の左は主に観光バスを収容する駐車場で、右側には売店が並ぶ。金堂に近い店の蕎麦は手軽に食べられる割には旨い。
 
        中: 焼失前の金堂は永禄元年(1558)に信玄開基として建造された。信濃善光寺の本尊や寺宝を移して戦火から守ったのが始まりである。
 
        右: 天正十年(1582)の武田氏滅亡後には本尊の阿弥陀三尊像は織田→ 徳川→ 豊臣の手を転々とし、慶長三年(1598)になって信濃に還った。
現在は仏の啓示を受けた熱田の定尊が建久六年(1195)に鋳造した前立仏を本尊として祀っている。
 


     

        左: こちらは信濃の秘仏が最初に鎮座した飯田の 定額山元善光寺(公式サイト)。信濃善光寺は単立の無宗派で天台宗と浄土宗による共同管理だが、飯田の
元善光寺は天台宗に属している。見た目は片田舎の古寺だが歴史はけ桁違いに古い。
 
        中: 古名は坐光寺、これは地名でもある。第三十三代推古天皇の十年(602)に難波の掘から本多善光が掬い上げ、自宅に持ち帰って臼の上に安置した。
この際に仏像が臼と共に光を放った事から「坐光寺」と名付けた、と伝わっている。
 
        右: 地図はこちら、住所は飯田市座光寺2638。本堂などはやや高みにあり、敷地はそれ程広くはない。数ヶ所に分散した駐車場は100台強、
他にも500m圏内に商業施設が点在しているので混んでいても駐車には不自由しない。飯田線の元善光寺駅から歩いても500mほど。


     

        左: 第三十五代皇極天皇(重祚(再任の意味)して三十七代斉明天皇)元年(642)、本尊のお告げ「芋井の里に遷せ」に従い芋井(長野市)の現在地に遷座
した。これは最初からの勅命とも、お告げの話を聞いてからの勅命とも言われる。同時に「毎月の半分は飯田坐光寺に戻って教えを説く」とも告げたため、
長野と飯田の両方に詣でないと片参りになる、と言われるようになった。
 
        中: 山門から更に石段を登って本堂へ。由緒を知らず参詣すると何の変哲もない田舎の寺に見える。更には諏訪市にも一ヶ所 善光寺(wiki)があり、こちらは
芋井の里に遷る途中で七年間留まったと伝わるのが起源らしい。従って長野県内三ヶ所全てに参詣するのがベストで、更に善光寺参りの後には別所温泉の
北向観音(wiki・ここにも行ったなぁ、画像は残ってないけど)にも寄らないと本来の姿ではないらしい。結構面倒なのだ。
 
        右: 現在の本堂は寛政九年(1797)築。宝物殿は入場料200円、阿弥陀三尊像を安置したと伝わる臼は見逃せないが、とりあえず観光用サイト(別窓)には
画像が載っている。当初の本尊だった阿弥陀三尊像は芋井の里に遷って絶対秘仏となり、元善光寺は鎌倉期鋳造の阿弥陀三尊像を秘仏として厨子に祀っている。
 
七年に一度の開帳(前回は平成28年の4月〜5月)は前立本尊(1700年前後の作)のみ。本尊を信濃善光寺に遷す際に勅命を受けて彫った木像は本尊では
ないため、たぶん別に祀っているのだろう、と思う。