頼朝 は最初の流刑地である伊豆蛭島(伊豆の国市韮山)から久須美荘 (伊東市) に移り、
伊東祐親の監督下に入った。祐親が提供した「北の小御所」に住み、
松川沿いの「日暮(ひぐらし)の森」付近で
八重姫との半同棲生活を楽しんでいた。やがて最初の息子
千鶴丸が産まれ、結局は数え年三歳で祖父の祐親に
殺されるまでの約二年間以上は先の見えない半同棲生活を続けた事になる。
「北の小御所」の位置は曽我物語の記述以外に資料がないため想像するしかないのだが、日暮の森付近なら現在の日暮神社が該当する。
従って「北の小御所」の位置を推定するために必要な条件は...
A.祐親の館から北の方向にあり、 B.遠からず近からずで、 C.頻繁に増水する松川から離れたやや高台、と推定できる。
松月院の山裾である現在の伊東駅北側なら館から見て概ね北、日暮の森からは1.3km程でやや高台、伊東館から500m。祐親が頼朝に討手を向けた際に
祐親の二男
祐清の通報で逃げられた事情を考えれば、このぐらいの距離が妥当じゃないかなぁ。まぁどうでも良いような事だけどさ。
一応の
想定ルート地図を記載しておく。スタートは松月院、ゴールに設定したのは伊東館、経由地付近が音無の森。