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通称は鎌田神社、正式には火牟礼須比(ほむすび)神社。祭神は火産霊尊(ほむすびのみこと)、記紀神話のカグツチ・火の神である。
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カグツチはイザナギとイザナミの間に産まれた子。火の神だったため出産の時にイザナミの陰部を焼いて殺し、怒ったイザナギに「天尾羽張」で斬り殺された。
この刀は十拳剣 (拳の巾10ヶの長さの両刃) 、剣の先端から滴り落ちた血から三柱の神が、剣の根元から滴った血から三柱の神が、剣の柄から滴った血から
二柱の神が、カグツチの死体からは八柱の神が生まれたという。
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鎌田神社 (地図) の創建年代は不明だが元和三年 (1617) と寛保元年 (1741) の棟札が残っており、安政四年 (1847) の鎌田村鑑は「上大見村原保
(伊豆市原保・大見川上流)にあった神霊を鎌田字御幣畑に遷して愛宕神社とし、天正年間 (1573〜1592) になって更に御幣畑から現在地の伊豆ヶ木
(厳神垣・いずかみがき) に遷して来宮明神と合祀した」と伝えている。御幣畑(ごへいばたけ)は冷川峠に近い現在の環境美化センター付近 (地図)だ。
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明治二年(1869)には社名を火牟礼須比(ほむすび)神社と改称、明治七年 (1874) 5月に村社となった。典型的な村の鎮守である。
ちなみに、「伊東祐親から殺す命令を受けた家臣は鎌田の祠に繁っていた橘の小枝を折り、泣き始めた千鶴丸に握らせて稚児ヶ淵(別窓)への道を急いだ」と、
「社殿前の橘の小枝」について伝えているのは鎌田に残る伝承のみで、肝心の曽我物語には載っていない。地元が付け加えたフィクション、だろうか。

左: 伊東から松川に沿って北へ向かう旧修善寺街道沿いの鎌田神社。殺害を命じられた家臣が千鶴丸に橘の枝を握らせた、と伝わる。
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中: 鎌田の伝承では「小さな祠の前に茂る橘の小枝を握らせて「とどろきが淵」に向かった」と。その伝承以外には何の特徴もない鎮守である。
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右: 鳥居の左右に茂る橘の、これは向かって左側の樹。もちろん平安末期当時の樹ではないが、晩秋には酸味と苦味の強い小さな実を付ける。

左: 神社裏手の山林から本殿を撮影。拝殿だけではなく裏手に回って歩く方が古い時代の村社の雰囲気が感じられて趣がある。
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中: 手入れの行き届いた山林には境内社と山の神の祠が数基祀られている。原保から御幣畑を経て遷って来た祭神の係累かも知れない。
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右: 境内の裏手、注連縄が架けられたホウノキは火牟須比神社の御神木扱いになっているらしい。伊東市の名木に登録されている。
この頁は2022年 7月14日に更新しました。