扇ヶ谷の地名は元々は亀ヶ谷地区の一部分だったらしいが、今では知名度が逆転して扇ヶ谷の方がメジャーになってしまった。亀ヶ谷は鶴ヶ岡に対して名付けた
由緒の古い地名だが、今では亀谷坂切通しとして紹介されるだけ、扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ交通量の少ない脇道である。
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室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父である上杉重顕を祖としている。孫の顕定が関東に下向して鎌倉公方に仕えて扇ヶ谷に住み、扇谷氏を名乗って地名が
広まった。岩舟地蔵堂近くの山裾に鎌倉十井の一つ「扇の井」(現在は個人の宅地内)が扇ヶ谷の語源で、新編相模風土記に拠れば「扇の形に穿った穴から清水が
湧き出るため」この名が付いた、と。異説として静御前が舞扇を納めたのが経緯だ、との話もある。
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私は長いあいだ「扇の形に広がっている谷津だから扇ヶ谷」だと思っていた。バカだねぇ...。
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上杉顕定の屋敷跡は壽福寺北隣の英勝寺 (鎌倉唯一の尼寺、元太田道灌の屋敷跡)から線路を挟んだ扇川沿いで「扇谷上杉管領屋敷迹」の石碑がある (
地図 )。
この先最初の小道を右に150mほどの左側に相馬師常の墓、更に150m弱の左側に「扇の井」がある。