亀ヶ谷坂切り通しの風景 

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扇ヶ谷の地名は元々は亀ヶ谷地区の一部分だったらしいが、今では知名度が逆転して扇ヶ谷の方がメジャーになってしまった。亀ヶ谷は鶴ヶ岡に対して名付けた
由緒の古い地名だが、今では亀谷坂切通しとして紹介されるだけ、扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ交通量の少ない脇道である。
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室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父である上杉重顕を祖としている。孫の顕定が関東に下向して鎌倉公方に仕えて扇ヶ谷に住み、扇谷氏を名乗って地名が
広まった。岩舟地蔵堂近くの山裾に鎌倉十井の一つ「扇の井」(現在は個人の宅地内)が扇ヶ谷の語源で、新編相模風土記に拠れば「扇の形に穿った穴から清水が
湧き出るため」この名が付いた、と。異説として静御前が舞扇を納めたのが経緯だ、との話もある。
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私は長いあいだ「扇の形に広がっている谷津だから扇ヶ谷」だと思っていた。バカだねぇ...。
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上杉顕定の屋敷跡は壽福寺北隣の英勝寺 (鎌倉唯一の尼寺、元太田道灌の屋敷跡)から線路を挟んだ扇川沿いで「扇谷上杉管領屋敷迹」の石碑がある (地図 )。
この先最初の小道を右に150mほどの左側に相馬師常の墓、更に150m弱の左側に「扇の井」がある。



     

           左: 山ノ内側から亀ヶ谷坂切通しへの入口。巨福呂坂洞門からの距離は500mで高低差は約20m、切通しの最高地点とも同程度の高低差がある。
坂に向かってすぐ右手の角は 足利尊氏 の屋敷跡と伝わる 宝亀山長寿寺(鎌倉古建築のサイト)(現在は建長寺の塔頭で裏に四男基氏が建立した
尊氏供養墓あり)、左側には甘味や麺を扱う「茶屋かど」、鎌倉五山一位の 建長寺(公式サイト)や四位の浄智寺(公式サイト、開いたんだ!)、
更に五代執権 北條時頼 の墓がそばにある 名月院(鎌倉庭園ガイド)も近い。
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           中: 切通し頂上付近から扇ヶ谷方向を。かつて古道が通っていたと伝わる両側の尾根からは20mほど切り下げてあり、部分的に残っている岩盤が
僅かに雰囲気を感じさせてくれる程度に過ぎない。
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           右: 扇ヶ谷側から切通しの頂上方向を撮影。鎌倉街道側の入口から扇ヶ谷の岩船地蔵堂までは600m、歩いて10分の距離である。ちょうど綺麗な
ご婦人が坂を降りてきたタイミングで、少し顔を逸らせたのが気になった。他意は全くなかったんですけどね。


この頁は2022年 7月 8日に更新しました。