蛭ヶ小島の
頼朝 の元へは
比企の尼? の所領である武蔵国比企郡から月に一度の頻度で衣類や食料が届けられた、伝わる。近親者以外が流人と同じ場所に住むのは禁じられていた
ため、尼は函南の大竹(東海道線函南駅の西・蛭島まで約8km)に住んで娘婿の
安達籐九郎盛長 を蛭ヶ小島に通わせていた、とか。
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一方で、高源寺の寺伝では、比企の尼は高源寺の近くに屋敷を構えた、とされる。建仁三年 (1203) 9月の政変・
比企の乱(別窓)で一族が滅びた後は北條氏の所有に変り、
屋敷の守り本尊だった不動明王が畑の中に残っているというのだが、この真偽は判らない。いつかは場所を確認して訪問してみたい。
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石畳の参道とその先の楼門の風情は実に趣があり、駐車場から本堂へ直接入ってしまうのは惜しまれる。周辺に店舗はなし、人家も少ないので食事や飲み物は携帯する必要がある。
駅から2kmほどなのに、ひょっとしたら道を間違ったのではないか?と思うほどの山奥である。地図は
こちら で。