真鶴海岸にも残る「しとどの窟」 

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真鶴町は湯河原町と小田原市に境を接した小さな自治体で人口は約8,200人弱、箱根町と同じく今どきの首都圏には珍しい「足柄下郡」に所属する。
昭和31年(1956)に北に隣接する岩村と合併し、2000年代の初頭には湯河原町と合併して湯河原市への昇格を目指したが、結果として住民の合意を
得られず現在に至っている。いずれは箱根や小田原を含んだ広域の合併が実現する、のかも知れない。
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景観を尊重する施策を推進することでも知られ、半島先端の名勝三ツ石や魚付きの森、日本三船祭で知られた 貴船神社(wiki)など豊かな海の恵みを
生かした観光スポットも多い。岩海岸には小規模な海水浴場があるが、真鶴港のある半島の両側は岩場の海岸が多く水浴の出来る浜辺は見当たらない。


     

           左: 真鶴の鵐(しとど)の窟は頼朝主従が安房に向けて舟を出した岩浦(岩海岸)から山を越えた1km南、真鶴半島の付け根の北側にある。
駐車場なし、すぐ前の観光施設 魚座 の駐車場(休日昼前後の混雑に注意)が利用できる。
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           中: 鵐はアオジ・ホオジロなど小鳥を意味する古語。頼朝主従が身を潜め、大庭景親の兵が調べようとした時に小鳥が飛び出したため見逃した、
と伝わっている。周囲に立てられた頼朝を始め 土肥實平岡崎義實土屋宗遠 ら「七騎落ち」メンバーの出陣旗が賑々しい。
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           右: 昔は高さ2m×奥行10mの規模で波打ち際にあった。崩落のため現在は半分ほど、奥に仏像(阿弥陀如来?)を祀り、中には入れない。
真鶴町と湯河原町は今でも「しとどの窟」の本家争いを続けているらしい。頼朝が「しとどの窟」に隠れて危機を逃れた云々はフィクションだが、
強いて選ぶのなら土肥椙山の方が有利かな。もしも洞窟が岩海岸にあったのなら迫真性では対等の勝負だった、かも。


     

           左: この地域特産の 小松石(外部サイト)の立派な石碑(頭頂部が欠損)がある(中身は読まなかった)。その前にも大きな小松石の置いてあり、
岩海岸の「頼朝出帆の碑」近くにある真鶴民俗資料館で小松石の見本などを見学できる。詳細は こちら(外部サイト)で。
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           中&右: 窟の前にある魚座(さかなざ)の防波堤から真鶴漁港を。一帯は坂が多くて駐車場所に苦労するのが難点だ。魚座から更に約200m先に
船祭りで知られた貴船神社(参拝用Pあり)、2km先の真鶴半島先端まで足を伸ばせば名勝・三ツ石(無料Pあり)がある。
どちらも、詳細は 観光協会のサイト を参考に。岬の先端手前に広がる自然林・魚つきの森を散策するのも楽しい。

この頁は2022年 8月 2日に更新しました。