中伊豆 大見家政の本拠地と古城址 

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桓武平氏 平貞盛 の子孫が伊豆に土着した最初の地である (大見の地図 を参照)。吾妻神社の鳥居がある山裾と中伊豆中学校の間にある平地、大見畑と呼ばれた一帯が (大見實政
や政光の父 大見家政(家秀) の) 館跡で、「城の井戸」の遺構や「垣宇土(屋敷の囲いの意)」の名称が残っている。
現在は實成寺にある伝・家政の墓も大見畑にあった大見塚 (だいけんづか) から移されたもの。大見塚は中学校の校庭拡張工事に伴って撤去され痕跡も調査記録も残っていない。
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古城跡とされている山はかなり急峻で、大見川の支流冷川を天然の防衛ラインとした要害の地である。時間もなかったため途中までしか登れなかったが頂上には吾妻神社の本殿
があり、以前は東側の下り口に崩れた石垣の跡が残っていたらしい。これも、既に確認はできない。
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大見實政の館跡である 實成寺 ・ 實政の防衛拠点だった大見城址 ・ 實政の兄政光の本拠地で 工藤祐経 生母の初婚先とも伝わる 八田屋敷の風景 ・ 曽我物語の敵役で河津三郎を
遠矢で殺した 大見小藤太成家の墓(いずれも 別窓)などと併せて、大見の歴史を探る出発点とするのも面白い。

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           左: 北から見た大見郷。左の山裾(派手な建物の横)が八幡来宮神社(城地区の来宮神社とは別)、更に500mほど南が大見古城址。
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           中: 中伊豆中学校の校庭から裏山にかけての一帯が大見家政の館跡とされ、山裾の一部には崩れた石垣の痕跡もあったらしい。
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           右: 校庭北側の平地が大見畑と呼ばれていたエリア。地元の伝承に拠れば遠い昔にここで激しい合戦があり、大勢の武士が斬り合ったという。
もちろん何の裏付けもないが旧地名は八幡(はつま)、伊東祐清の率いる80騎と八幡三郎行氏らが死闘を繰り広げた場所の可能性もある。


     

           左: 大手口跡の吾妻神社。途中まで登ったが予想よりも傾斜が厳しく時間もなかったので断念した。いつか折を見て再度チャレンジを。
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           中: 山裾に残る「城の井戸」。20年前の資料に載っていた写真は畑の中だが、現在は住宅地の片隅に辛うじて保存されている。
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           右: 吾妻神社の祭礼にはこの井戸で汲んだ水を使うのが風習だったと伝わっている。現在も受け継がれているか否かは不明。

この頁は2022年 7月12日に更新しました。