大庭城の最初は
大庭景義 と
景親 と
俣野景久 の父景宗の時代らしい。厳密には景義の下に同母の豊田景俊がいるので、景義・景親・景久・景俊の四兄弟。
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東側を流れる引地川と西側の小糸川が天然の濠を構成する台地に築城され、最盛期には東西250m×南北800mの台地全体が要塞化されていたらしい。現在は北側が開発されて住宅地となり、南側の約400mが城址公園として整備されている。
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古くは大庭の舘と呼ばれ一族の重要な軍事拠点だったが当時の遺構は皆無で、空堀や土塁の跡はいずれも応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱以後に造られたと推測される。この地の領有権は扇谷上杉氏→後北条氏と変わり、後北条氏が秀吉に滅ぼされた天正十八年(1590)に廃城となった。