大庭景親が頼朝暗殺を狙った跡と伝わる妻塚観音堂 
 

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地元に住んでいる人も観音堂の由来は知られていない、らしい。三嶋大社の例大祭(お盆の時期)に巡回する子供の祭囃子(しゃぎり)が立ち寄って休憩する、
その程度の場所。そりゃそうだよね、昔から住んでる人なら兎も角、最近の子供に頼朝だの大庭景親だの言っても通じないし。
いずれにしても信頼性に乏しい伝承が残っているだけ、伊豆半島の随所にある頼朝伝説の一つ程度に受け取るしかない。

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           左: 周辺は比較的古い建物の多い住宅密集地で、すぐ前を通っていたと伝わる三嶋大社参道の面影は見られないのがちょっと残念。
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           中: 石碑にある「源氏に多少の縁がある妻女」とは誰だろう。大庭一族は後三年の役で 八幡太郎義家 に従った 鎌倉権九郎景政 の末裔を名乗って
いるから全く無縁ではないし、源平双方と何らかの接点を持つ一族は特に珍しくない。大庭景親の兄 懐島景義 も保元の乱では 義朝 に従って戦い、
為朝 の鏑矢で膝を砕かれる重傷を負って歩行困難になった結果家督を次弟の景義に譲って隠居(後に景義の滅亡に伴い家長に復帰)したし、
肉親が敵味方に別れて戦い生き残った方が家名を保つのが珍しくない時代だった。
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           右: 観音堂の内部は整然としている。もちろん本尊は観音菩薩だろうけど、厨子が閉じられているため詳細は判らない。

この頁は2022年 7月18日に更新しました。