平泉を目指すか、京に戻るか...静が思い悩んだ思案橋 

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安政二年(1855)編纂の利根川図志などに拠れば...編纂の時期から考えると江戸末期の伝承を纏めたものだろうけれど。
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静女 は高柳寺で一泊して北に向かった。高柳寺から10km北の下総国下辺見で行き交う旅人が 義経 の噂をしているのを聞き、懐かしさの余り消息を尋ねたところ、
ほんの一ヶ月ほど前(正確には文治五年(1189)閏4月30日・太陽暦の6月15日)に平泉で自害したと教えられた。静女は小川に架かる土橋の上で「奥州まで
行って義経の菩提を弔おうか、それとも京に戻ろうか」と思い迷った。考えた末に静女は南へ引き返し、高柳寺を目指して歩き始めた。
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その場所が現在の国道354号(古河市下辺見1900)の思案橋(地図 )である。現在はもちろん土橋ではなく、国道4号の大堤交差点から東へ700mほどの向堀川に架かる
コンクリート橋梁に姿を変えている。交通量が多い上に川の水質も悪く往時の雰囲気はとても味わえないが、北側の緑地には手を翳して佇む静の銅像もあり、辛うじて鎌倉時代に
想いを馳せることができる。


     

           左: 周辺は工場地帯の国道なので大型トラックの往来が激しい。上流(北側)の右手、樹木の後には陸上自衛隊の古河駐屯地が広がっている。
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           中: 撮影地点の道路沿いに駐車できるスペースがある。トラックの荷台の影に微かに見える銅像の後はトモエ乳業の工場で、国道沿いの緑地には
草を食む乳牛の像が数頭。昔ここを通った時に今は亡き雌犬が動く筈もない牛の像に向って吠え続けていた。今では悲しい思い出だ。
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           右: 思案橋の北側から南西方向を眺める静の銅像。理想を言えば北(平泉方向)を向くべきだが道路に背中を向けられないのが銅像の辛いところ。
銅像の付近にはセンサーが設置してあって、人が近づくと何やら歌が流れる仕組みになっている。

この頁は2022年 8月 9日に更新しました。