畠山重忠が本拠を構えたと伝わる菅谷館跡 

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現在残っている空壕や土塁は 畠山重忠の時代ではなく250年後に管領上杉氏が活躍した西暦1400年代後半、城砦として整備された考えられている。
その後は小田原北条氏がこの地を支配し、天正十八年(1590)の秀吉による小田原攻めによって廃城となった。
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城址の一帯は広い丘陵を構成しており、最も高台の北側を含めたエリアが城郭の中心になっている。館跡は国道254と都幾川に挟まれた周囲4kmの
平坦地で、現在は埼玉県立嵐山史跡の博物館やスポーツ施設、森林公園などが併設されている。特にコメントを加える必要もないので、空壕や土塁、
本郭周辺などの画像のみをアップしておいた。次回訪問したときに鎌倉街道の痕跡が残っている周辺を歩いてみようか、とも考えている。


     



     



     



     


この頁は2022年 8月 16日に更新しました。