飛鳥時代に二見重行が白山の霊を祀った土肥の城山 

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土肥實平が築いた「詰めの城」説は根拠が乏しく、現在では天正十八年(1590)の秀吉による小田原攻めの際に急造された防衛拠点と推定されている。尾根に沿って湯河原駅方向に下ると土塁や郭の跡が残っており、更に東側の城堀林道には石橋山合戦に敗れて山中を逃げ回った 頼朝 が兜を脱いで休息した「かぶと石」がある、らしい。ここは史跡巡りではなく、暖かな日に自然の中をのんびり歩く方が向いている。城址に興味がある場合は こちらのサイト を参考に。
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椿台(昔はレストハウスだった)から山頂へ向うルートの途中から「しとどの窟」へ直接下る道があれば便利なのだが城山ルートの北側は急斜面なので維持管理は無理なのだろう。バスを利用して椿台からスタートする場合は城山から城願寺へ下るルートと「しとどの窟」から幕山公園に下るルートの二つを分けて考える方が良い。


     

           左: 椿台で「しとどの窟」に続く白銀林道と別れて石畳を進む。やがて細い山道に変わり緩やかな下りが続く。全体に良く整備されており歩き易い。
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           中: 城山の頂上は椿台よりも40mほど標高が低い。最後の100mほどは大きな石の間を縫う登り道になるが、手を使うほどの傾斜ではない。
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           右: 山頂は20m四方ほどの芝生で、土肥城址碑は男爵小早川四郎の書。最後の長州藩主(十四代)毛利元徳の三男で小早川家を再興 した人。
もちろん土肥實平の子・小早川遠平の子孫に当る。毛利元就が同族小早川氏を併合するため三男の隆景を養子に送り込んだ歴史を持つ。


     

           左: 山頂の手前で少し展望が開け、幕山公園(画像の右側)を流れる新崎川の谷が見える。堀口合戦場は下流、しとどの窟は上流に位置する。
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           中: 周囲に潅木が多いため湯河原の街並みは見えないが、真鶴半島は一望できる。晴天なら三浦半島はもちろん、房総半島も確認できそうだ。
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           右: 南東の中央に初島、その延長線に伊豆大島、右隅に伊東の大室山、稜線の左に小室山、突端の先には微かに見える三角は利島だろうか。

この頁は2022年 8月 1日に更新しました。