熊谷直實と所領の境界を争った久下直光の菩提寺 東竹院 

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新編武蔵風土記稿などの史料に拠れば、東竹院の正式名称は梅籠山東竹院久松寺で宗派は曹洞宗、創建当初は天台宗で本尊は釈迦如来(現在も同じ)。
開基は建久七年(1196)没の久下次郎重光(東竹院久遠願昌居士)で、元久元年(1204)4月29日没の 久下権守直光 (長和院天了慧運居士)の父親。
所領を争った直光は 熊谷直実 の姨母(おば)の夫と載っている。
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二基の石塔の一つは久下氏の墓石で恐らくは次郎重光、どちらかは忘れたが、もう一つの方は東竹院中興の祖で戦国時代の永禄十一年(1568)7月2日に
没した深谷の城主上杉三郎憲賢。この二人がどんな関係だったのかは確認していない(東竹院の地図)。
境内はかなり広く、ゆとりのある参拝者用の駐車場を備えている。すぐ横は荒川の土手、荒涼とした風景が広がっている。


     

           左: 東竹院は熊谷市・行田市・深谷市の寺院で構成する忍領三十四所の四番札所、忍城(浮城)は映画「のぼうの城」を作る前提で執筆した和田竜の
歴史小説「忍ぶの城」を元にしている。埼玉&群馬県境を流れる利根川に造った 利根大堰 から武蔵水路(共に wiki) を介して大量の水を荒川に流し
首都圏の需要を補っている事でも知られる。斎藤實盛 所縁の 妻沼聖天山、国宝の金錯銘鉄剣も見られるさきたま古墳公園、豊臣秀吉の水攻めに
耐え抜いた忍城址、紀元前の蓮(花季は6/下旬〜7/下旬の午前中)が咲 く古代蓮の里 など、見所も多い(スポットは全て公式サイト)。
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           中: 開基は建久七年に没した久下次郎重光、開山和尚は安貞元年(1227)に没した月擔承水法師と伝わる。
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           右: 二つの石塔は久下直光の父重光(開基)と中興開基の深谷城主上杉憲賢、左右のどちらかは忘れてしまった。背後に見えるのは荒川の土手。

この頁は2022年 8月 8日に更新しました。