| 信濃に戻った義仲が拠点を置いて戦力を整備した依田城址 |
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依田城址周辺の探訪と主な史跡の撮影は完全に済ませているのだが大部分の画像が行方不明。ちょうどフロッピーからCDに移行した頃で、50枚ほど
残っているフロッピーの中にある筈。多分外付けのHDへのコピー漏れだから時間ができたら整理する計画で、いずれはこの頁にも掲載できる、と思う。
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取り敢えずは手元で確認できる画像のみで構成しておく。
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左: 丸子の市街地と依田城の間を流れる依田川は約5km下流の海野宿対岸で千曲川に流れ込む。依田城址登山口の宗龍寺(伝・依田氏館跡)や
木曽義仲 の館跡、義仲が騎馬で石段を登って戦勝祈願したと伝わる宝蔵寺岩谷堂、
巴御前 が歯を染めた旧蹟など、真贋玉石(笑)取り混ぜて
見所が散在する。
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中: 依田城への登山口・宗龍寺。城址に登る場合はここに駐車させて頂く。一方で伝・依田氏館跡は数ヶ所あり、確定には至っていない。
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右: 後に塩田流北條氏の本拠地となった塩田平(別所温泉周辺)に向う鎌倉道で、当時はこのルートがメインだった。今は約1km北を平行して走る
県道82号がメインで、依田川の支流を隔てて依田城の北側数百mの対岸、砂原峠に向かう静かな道路脇に「木曽義仲挙兵の地」と記した看板が
建っている。厳密に考えると、挙兵のために海野郷へ向ったのが木曽、信濃源氏の援軍として出陣したのが白鳥河原、越後の
城資永 の軍勢と
戦うために出陣したのが依田城、となる。前後の経緯を考えると本格的かつ正式に挙兵したのが、ここ依田城か。

左: 依田城址から白鳥河原(海野)までの地図。依田川沿いに国道152号を南下すると約10kmで中山道(中世の東山道)長久保宿に至る。
その手前に道の駅
マルメロの駅ながと(別窓)、長久保宿の5km先が和田宿で、中山道の難所・和田峠への登り道となる。
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中: 丸子町周辺の義仲関連遺蹟の地図。「巴御前お歯黒の池」など眉唾物も多いが、依田城址周辺や依田実信が居館を義仲に譲った高築地館跡
など見るべき史跡も多い。正海清水は当時からの湧水跡で
志水冠者義高 生誕の地とも伝わる。
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ただし推定地は木曽の志水(兼遠館の近く(
地図)、善光寺近くの箱清水(乳母の出身地・
地図)、松本市の清水(近くの槻井泉が産湯・
地図)、
小諸市の清水(滋野氏が養育して「諸の若宮」で元服(
地図)など数ヶ所にある。次回海野宿を通った時に巡回しようかとも思うが、義仲伝説も
際限なしに多いからねぇ...
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右: 丸子町と「信州の鎌倉」として知られる塩田平の別所温泉を結ぶ鎌倉道案内図。宗龍寺から高築地館跡まで1km強、更に砂原峠まで1.5km、
峠から別所温泉までは約9km。砂原峠と別所温泉のちょうど中間付近の
前山寺(公式サイト)周辺が塩田北條氏の本拠。
この頁は2022年 8月 7日に更新しました。